2011年1月14日金曜日

いつもとは少しだけ違う朝

昨夜は久しぶりに知り合いの方と外で夕食をしました。こちらに来てからは外で食事する機会が無くなっていたので、結構新鮮な気持ちになりました。以前は、しょっちゅう出歩いては、夜の街を徘徊していたのですが、最近はそんなことも無くなりました。


特に興味が無くなったからというわけではないのですが、何となくそんな感じになってしまうと、出歩くこと自体面倒になってくるものです。なので、もっぱら夜はpolkaの相手をするようになってきました。昨夜もそれほど遅い時間でもなく、部屋へ戻ったのですが、何故か身体にだるさを覚え、すぐに寝てしまいました。polkaもそんな僕の様子に気付いているわけでもなく、ベットへともぐり込んでからは、特に寄っても来ませんでした。

そして、朝方5時頃に、いつものように鳴き始めました。そう、新しい水とエサを要求してくるのです。いつもは、準備をしてあげてから、また寝たりするのですが、今日はややだるさも残り、寝ていた時間が長かったせいか起き上がるのが億劫で、そのままにしていました。polkaは執拗なほど耳元で鳴いては、頭を身体にこすりつけてきます。終いには、身体に乗ってきては、そこから床へとジャンプし始めます。polkaにとってはいつものルーチンワークのつもりでしているのでしょうが、違う点は今日は僕が起きないことです。1時間ほどして、しかたなく僕は起き上がったのですが、もしこのまま起き上がらずにいたなら、polkaはどういう態度をとったのかなと考えました。

きっと、起きてこない僕の様子に異変は感じるのでしょうが、あきらめて寝てしまうような気がします。やや哀しい結末かとは思われますが、きっとそうなのでしょう。

polkaは今、水もエサも食べ終えて、すっかり安心をしたのか、一人掛けソファで身を丸めています。僕はと言えば、そんな姿をぼんやりと眺めているだけです。今朝はあいにくの曇り空で差し込む朝日はありません。薄暗い部屋の中で、朝を感じさせるものはテレビから流れてくる男性司会者の声だけです。

今日もいつもの一日が始まります。

繰り返される毎日は、polkaには永遠であるかのように感じているのだろうか。

それもまた幸せなことなのだろう。

2011年1月13日木曜日

楽しみのひとつ

人はそれぞれいくつかの顔を持つ。


社会の中で生きていくに当たって、大抵はそれぞれの役割や肩書を持ちながら過ごしています。公的、私的といった区分けもあるでしょうし、仕事としていくつかの種類をこなし、その時々で違った側面を見せている場合もあります。

私的な顔は、家族であったり、ごく身近な人や気心の知れた仲間にしか見せない人が多いと思います。一方、公的な顔は、その立場や役割に応じて、自分が気に入らない場合でも、その役割を演じなければなりません。舞台という閉ざされた特殊な空間で演じる役者とは違い、一般社会が舞台ですから、慣習や常識、この立場であればそうすべきといった規範のようなものに縛られるわけです。(会社は特殊な空間でもあるわけで、ある意味役者以上に役を意識しているものですが)

そういった部分での緊張や義務感といったものが、日常的なストレスを発生させるものです。そんな日常を離れようとして、趣味を持ったり、家族との団らんを楽しんだり、友人や仲間との他愛のない会話や酒を交わしたりすることで、限られた時間の中で、私的な顔を見せているように思います。しかしながら、現代はそんな他人との関わりに煩わしさを覚え、ますます、私的な顔がどこにあるのかも分からなくなってきているような気がします。

ギャラリーに来られる方々の多くは、公的な顔ではいらっしゃいません。かと言って、私的な顔で来られるかと言えば、これも少し違います。ギャラリー内で眼にするものは、いわゆる有用性のあるものではなく、むしろそれを否定し、その上で美的価値を提示することで、鑑賞者たるお客さん自身の教養や趣味を高めようとしているものと言って良いと思います。(だいぶ大げさですが)その為、ギャラリーは商品(作品)を売る場という側面を持ちながら、お客さんにその世界の意味するところを感じて、考えてもらう場でもあります。

だから、多くのお客さんは、無意識のうちに、構えているような顔になります。公的、私的いずれでも無い顔になるわけです。無表情に近いかもしれませんね。そして、何かを自分自身で感じ、それが腑に落ちたり、納得し安心されると、初めて表情を和らげます。また、それとは逆に理解不能で困惑の表情を見せる場合もあります。

人はそれぞれいくつかの顔を持っています。自分で気がついていない顔もあります。

ギャラリーはそんな顔を自己発見出来る非日常的な空間でもあります。

さて、今日はどんな顔を見せてくれるのでしょうか。

これも、僕の楽しみのひとつです。(大変失礼ではありますが・・・。)

2011年1月12日水曜日

楽しさを見つけよう。

楽しさは行動を変化させる。


どこかで聞いたことがあるフレーズじゃないかと思います。仕事にしても趣味にしても、今していることに楽しみを見いだせれば、自然とその行動はより楽しい方向へと変わっていくものです。言われれば当たり前だよと思うかもしれませんが、常日頃そうだと感じながら生活している人は少ないように思います。

実際、僕だって、今こうしてブログを書いているわけですが、書くものがないなとか今日はちょっと調子が悪いから書かずにおこうと考えたりして、楽しみどころではない時も間々あります。それでも、自分で決めてことだし、もしかしたらキーボードを叩いている内に意識の外で手が動くかもしれないじゃないと言い聞かせながら、毎日向かい、書き終えた後に今日は楽しめたかなと顧みるわけです。

仕事や趣味についても楽しいことばかりではなく、仕事にいたってはむしろその逆の場合の方が多いように思えます。特に、若い時分は、栽量も自由もほとんど無く、上下関係だけで強制的に仕事を与えられていると感じている内は、そこに楽しさを見出すことは不可能とさえ思えます。このまま、一生こうして生きていくのかなと悲嘆に暮れるわけです。

しかしながら、自分が思い描いていることを達成する為のひとつのステップであったり、自分なりに楽しさや価値感なりをほんの少しでもそこに感じられたなら、自分で気づかない部分で行動が変わってきます。おそらく、最初は意識が変わるのだと思いますが。

それを、モチベーションとか志と言ったりするのでしょうが、個人的には何か大げさなことのように感じる場合があります。楽しいからこうしているし、こうすればきっと楽しくなれると思えるから、の方が僕自身にはあっているように感じます。それよりも、むしろそう思えるようになったきっかけやこれからの方向性の方が大事であって、それ自体を見逃さないようにすること、そしてその行き場を間違えないようにしたいと考えています。

でもね、時々その行き場にも不安を覚えるものです。

取りあえずは、今日も何か楽しさを見つけようとしますか。

2011年1月11日火曜日

今しか出来ないこと~Ustライブします。

いやぁ、寒いです。日本全国でそんな声が聞こえてきそうな朝です。ギャラリーもエアコンを入れたばかりですが、外が寒いせいかすぐには動き出そうとしません。そんなわけで、コートを着込んだままキーボードを叩いています。


今日は緊急の告知です。現在会期中の江口敬写真展”Beyond”は残り1週間となりました。急に襲ってきた寒さもあり、なかなか外に出るのも億劫に感じられるのか、正直客足が伸びません。多くの方にお見せしたい写真展なのですが、持ち運びは出来ませんから、是非ご足労でもギャラリーに訪れ、写真の可能性に触れてみて下さい。

最終日となる16日(日)は、江口さんもいらっしゃいます。作家本人と話が出来ると、もっと詳しい制作内容なんかが聞けますので、来ていただけることが一番なのですが、どうしても来れないという方の為に、Ustライブ中継を行うことで、少しでもその雰囲気を伝えたいと思います。

日時は、16日(日)14:00-19:00 の予定です。カメラのアングルを何度か変え、会場が全て見られるようにするつもりです。でも、特別にイベントはしません。ただ、会場を映しているだけになります。会場の雰囲気を映像で感じながら、サイトで公開している作品を見ていただくと、少しはその世界にいたような感じになれるかもしれません。

放送チャンネルはこちらになります。

http://www.ustream.tv/channel/eguchi-takashi-beyond

過去に2回同様なライブを行っています。その結果どうなったと言うわけではありませんが、これも今だから出来ることです。

そして、今しか出来ないことのひとつです。

せひとも参加して見て下さい。

2011年1月10日月曜日

ザックジャパン、苦い船出

昨夜から始まったサッカーアジアカップ2011、ザックジャパン初めての公式戦は、ご存じのようにかろうじてドローという苦いスタートとなりました。テレビに映し出される、ザッケローニ監督、そして選手個々の顔に笑顔は有りませんでした。


昨年のワールドカップでのベスト16入りは大きなニュースとなり、暗い世相に明るい話題を振りまいてくれました。ランキング上ではほぼ格下相手となるアジアカップは、当然勝って当たり前の雰囲気ですから、かえって難しい戦いになるのです。

8月の監督就任後の試合はいずれも親善試合、双方のモチベーションもそれほど高くなく、しかもいずれもホームでの試合でした。ほぼ順調な滑り出しをしていたわけですが、やはり公式戦、国同士の戦いになるとまるで違うと言うことです。しかも、会場は中東のドーハ(あのドーハです)ですから、まるっきりのアウェイです。

昨日の試合を見ていると、素人目にも動きが鈍い印象を受けました。スタメンの8割以上が海外のクラブチームに所属し(これはこれで良いことですが)、国内組も他の大会との兼ね合いにより、やはり準備不足は否めないのかもしれません。そこに来て、引いて守っている相手ですから、格下とは言えなかなか崩すことは出来ません。

そして、もっとも感じたのは、選手のコミュニケーションがうまくいっていないなということです。これは、当たり前ですが、言葉が通じていないことではなく、ひとつのボールを通してお互いに感じ、動き、会話しているような感じが見られないことを意味します。個々の能力で打開していけるほど、まだ日本の実力は無く、組織的に戦術を組み立てないとうまく機能しないし、それにはそこに到るまでの意思疎通だったり、準備が必要なんだと思うわけです。

これは何もサッカーに限ったわけではなく、普通の仕事にしてもよく言われることです。また、ひとりのスターだけでは機能しないことも分かっています。

まだ始まったばかりですが、ちょっと心配ですね。

でも、彼等はプロですから、しなければいけないことは分かっているはずです。

2011年1月9日日曜日

音もなく雪が降ったようだ。

昨夜遅くから雪が降ったようで、今朝の路面にはザラメ状の雪がうっすらと残っていました。激しい雨の音に起こされることはあっても、雪の場合だとほとんど気づかないものです。よく、降る雪を「シンシン」と擬音で表わしますが、これって日本語特有の表現なんでしょうかね。


僕は英語、ドイツ語と習った経験はありますけど、日本人のほとんどがそうであるように使えるわけでもなく、このような表現があるのかどうかも分かりません。このような表現方法って、普段は何気なく使っていますし、とりたててどうなのと考えたことは有りませんが、時折素敵だなと思える時があります。

話し言葉や書き言葉として、目に見えない、耳に聞こえない状況を擬音化することは、情緒性や感情性といった点でも少し飛びぬけた表現なんだと思います。「雨がしとしと・・・」とか「しーんと静まり返った・・・」とか言われると、あぁ、と何故かしっくりと状況が理解出来るような気がします。日本人として、幼い頃からそう教えられてきたからねと言われれば、まぁ、そうだよねというしかないのですが・・・。

日本人は感情を表面に出さず、返答も曖昧で、いつも無表情な国民のように思われがちです。確かに過去に知り合った外国人の感情の表わし方と比べるとやや平坦でハッキリしないとは、自分自身も含めてそう感じます。

でも、擬音や行間を読むとか間を作るといった方法で、目には見えない、耳には聞こえてこないそこにある感情や状況を感じ取り、表現出来ることには、思いがけずに感心させられることがあります。何か僕が外国人であるような言い方をしているようですが、実際日常でそんなことを考えることはあまり無く、普段何気なく使っているものだから、逆にそう思えてしまうのかもしれません。

今日も風がぴゅーぴゅーと冷たそうです。

ギャラリーの中はほかほかとして心地良いはずです。

心にぐさっと突き刺さるような、そしてじわーっと沁み入るような写真を見に来ませんか。

(僕が使うと何か陳腐にしか聞こえないな・・・・。)

2011年1月8日土曜日

あなたにとっての"Beyond"

次回企画展の”Sha-gaku vol.2”のDMが出来てきました。年末年始の休みもあった為にちょっと遅めの出来上がりです。来週以降配布していきますので、街角で見かけたら、手にとって見て下さい。


Sha-gakuは、昨年6月に初めて公募として開催した企画展です。対象は、写真を作品として発表してみたい全ての方です。テーマや展示に関しての制約はほとんどありません。(壁を壊さない限り)一回目は、ギャラリーに訪れてくれた方々にも協力を仰ぎ、参加していただいた経緯は有りますが、非常にまとまりのある展示会でした。

既にサイトでは紹介していますが、今回は6名の男女が参加されます。皆さん、自分の自由意思で参加を決めています。よくある決まった筋書きに沿って行われるものとはまるで違います。もちろん、Sha-gakuに参加することが、今のところ、写真家への道であったり、ステータスにはなりませんから、純粋に発表してみたいとの思いが強い方々なのです。そういった意味では、今回のSha-gakuが、始めに考えていた趣向に近づいたのかなと思っています。

昨日も夕方に参加者のひとりが見えられ、これまで考えていたものとは違った展示プランを持ってきました。それがとてもユニークなのです。この場で、こういうものだとは明かせませんが、その発想に面白さを感じました。現実の形として行うには様々な問題があり、果たして見る方に素直に受け入れられるかも分かりません。そんな実験的要素が強い展示だと言えます。

でもね、その発想が実は大事なことで、僕も単純にワクワクとさせられます。そうなってくると、何とかならないかと考えるわけです。もちろん、費用をかければいくらでも出来ます。その辺りがいつもジレンマとして感じるのですが、現実問題として考えなければいけないのは確かですし、方向性や実現性を提示することも僕の仕事のひとつなのです。

さて、初個展の場としてこのギャラリーを選んでくれた江口さんもSha-gakuに参加して下さった方のひとりです。今日から3連休に入った方は多くいらっしゃるのではないかと思いますが、正月休みの疲れ?を癒す日として考えている方は、その時間の一部をギャラリーで使ってみてはいかがでしょうか。日常の慌ただしさや喧騒から離れ、安らげる空間がここにはあります。

そして、あなたにとっての"Beyond"を感じて下さい。