2009年9月7日月曜日

矢野顕子 天才少女はそのまま

毎週土曜日の夜、NHKで放送されている「ザ・ソングライターズ」をよく見ます。今回のゲストが矢野顕子さんだったこともあり、一昨日も見てしまいました。

「ザ・ソングライターズ」は、シンガーソングライターの佐野元春さんがホスト役を務め、日本のソングライターたちをゲストに招いて、「歌詞」すなわち音楽における言葉をテーマに探求してゆく番組です。(NHKの番組紹介より抜粋)

7月から放送が始まったこの番組は、歌という表現の中で、その歌詞が一節の詩であることを(当たり前ですが)再認識でき、これまでそれほど意識していなかった言葉そのものの世界が存在していることを思い起こさせてくれます。

矢野顕子さんって青森生まれだったのですね。出生までは知らなかったので意外でした。また、佐野元春さんの質問に対する受け答えが、日本人的でなかった点も非常に面白かったです。それにしても、矢野さんの持つ世界観は、自身のキャラクターも含めて、明らかにグローバルです。

初めて矢野さんの歌う姿を見た時は、奇抜な点だけが目立ち、生理的に避けたい部分を感じたのですが、何度か聞くうちに得も知れぬ高揚感を覚えるようになりました。それは、これまで僕が経験したことがなかった日本人が個としてのアイデンティティーをきちんと持ちながら、日本だけではないどこかでも通じるものを自然の内に持っていたからだと思います。

番組でも佐野さんが話していましたが、矢野さんは他の人のカバーを歌うことが多いけれど、その時歌われたその曲はもうすでに矢野さんのオリジナルになってしまっているってすごく判ります。

でも、それくらい個としての表現の手段が強烈であればある程、大抵は多くの方に支持されることが難しくなるのですが、そうではないところが不思議な魅力なんですね。

番組でも紹介された曲がこの2つ。

http://www.youtube.com/watch?v=ZFrOnH2cVFI
http://www.youtube.com/watch?v=PRty3IkquF8

カバーのsomedayが見つからなかったので、こちらを。

http://www.youtube.com/watch?v=UHG2qyjPwfk

来週はPart2があるようです。興味があれば、見て下さい。

2009年9月6日日曜日

新しいこと 挑戦と現実化

サラリーマン時代、電話との付き合いが非常に長かったせいもあり、今でも時折大手量販店等の携帯電話コーナーを覗くことがあります。ビジネス・フォン、ホームテレフォンから始まって、車載用電話、PHS、携帯に至るまで、あらゆる種類の外筐(本体のプラスチックの部分)の生産に携わってきました。NTTが民営化される前からですから、かれこれ24、5年といったところです。

初めはAT&Tなどのごついビジネスフォンを手がけていたのですが、NTTの民営化に伴い、いわゆるホームテレフォンが各社で発売されるようになりました。デザインも変わったものが数多く生まれ、家庭からダイヤル式の黒電話やアイボリーのプッシュ式電話が急激に無くなったのもこの時期です。

そんな時、ファッションデザイナーのアンドレ・クレージュがデザインしたホームテレフォンの仕事に関わったことがあります。日本通信工業が別会社を設立して、クレージュデザインの電話の発売を手掛けることになり、その本体の生産を請け負う事となりました。

デザインは2種類ありました。1種類はツートンカラーを2色のプラスチックで構成しなければならないため、先ず、本体を製作するためのマシンをカスタマイズすることから始まりました。当時は、ボタンのような小さいものでの実績はあったのですが、ホームテレフォンのような大型製品を製作する為のマシンがほとんどありませんでした。もう1種類は楕円形のドーム形状に、クレージュのトレードマークである雲のマークをちりばめ、ファンシー感のあるデザインでした。

両方とも技術的問題点が多々あり、初めて行う方法もあったりして、苦労はしましたがとても刺激的な仕事だったように思います。その時、これまでお付き合いしたプロダクトデザイナーとは違い、やっぱりファッションデザイナーだなと思える点がいくつかありました。

もっとも特徴的なものは色でした。今でこそ、ソフトバンクのパントーンカラーシリーズが出ましたが、当時は、多色でしかもパステル調の色をホームテレフォンに使用することはほとんどありませんでした。

通常はパントーンやDICといった色見本での提示が多いのですが、その時は服飾デザイナーだけあって、生地見本等での指示だったように思います。

そして、一番色出しに苦労したのが、フランスのケント紙で提示された白でした。明らかに日本で一般的な白より白色度が高く、生産時の歩留まり(良品となる割合)も悪くなるものでした。本体に施す雲の印刷もその白で、その上、何回かに分け行う必要があったので、一層効率を落とす原因ともなりました。

すったもんだしながら、2種類ともどうにか発売にこぎつけましたが、店頭に並ぶ姿を見た時に、いままでの苦労も飛んでしまう思いがしたことを今でも思い出します。

自分自身が新しいことへ挑戦することやこれまで誰も行っていないことを現実化するには、ただそれだけで苦労や忍耐が必要です。

それでも、それを達成する思いが折れない限り、結果は出てくると思っています。

2009年9月5日土曜日

偶然…いや、そうじゃないでしょう。


ギャラリーの前というか横といったらいいのか、隣合わせで”可らし”という鉄板焼きのお店があります。実は、僕の自宅はギャラリーのあるビルの居住区になっている上の階の一室にあるのですが、1月の終わりに引っ越してきた翌日、買い物に出ると、表通りに面した1階にその店があることに気づきました。
12月に住む場所を探しに仙台に来た時には、不動産会社の方が表通りを通らずに案内したので、全然気も付きませんでした。

”可らし”という名前のお店は東京にもあり、何度か行ったことがありました。目黒駅から白金方向に向かい、東京都庭園美術館の通り向かいにあります。店内一面からし色に塗られた壁面が印象的で、料理の方はとても美味しかった記憶があります。

さらに、何気なく店の隣を覗くと、テナント募集の張り紙がありました。表通りにある一室と”可らし”のちょうど裏側に位置する部屋が空いています。以前から店のテナントを探していたのですが、なかなか条件の合った場所が無い状況だったので、すぐに内見を申込しました。内見すると、かなり古さは目立ちましたが、広さも充分でした。

それから、1ヶ月後、テナントの本契約を済まし、内装工事に入る前に”可らし”に挨拶に伺いました。僕が東京からこちらに越してきたこと、それから東京に同じ名前の店があって、何度か行ったことがあると話すと、背の高いマスターは、あの店は私と仲間で立ち上げたんですよと話されました。

偶然なのでしょうか、こんなことってあるんだなと妙に感心し、奥さんとお子さん2人も紹介され、それ以来色々とお世話になっています。

”可らし”は今年で10周年になるそうです。マスターは一口に10年って言いますが、これはすごいことです。

ギャラリーに来られる方に、時々、場所が分りづらいですねと言われます。表通りに面していないのでそうなのでしょうが、通り過ぎてしまいましたとも言われます。ご来廊の際は、表通りにある”可らし”のからし色の暖簾を見つけて下さい。その裏側にあります。

”可らし”は、とびきりの和牛や新鮮な海鮮(海老の殻付きをそのまま焼いたものが絶品)をマスターが目の前で鉄板で料理しています。カウンターに座り、その姿を見ているだけで美味しさが倍増しますね。HPはこちら。
http://www.h6.dion.ne.jp/~karashi/

ギャラリーで美味しい写真をご覧になって、”可らし”でこれまた美味しい料理を食するというのはいかがでしょう。特にカップルの方には、絶好のデートになります。

アート写真を観に誘う男性って、何かカッコいいじゃないですか。

2009年9月4日金曜日

残された時間

9月に入ってから急に肌寒い日々が続いているように感じます。いつもの9月は残暑もしっかりとあり、半袖を着て汗をぬぐいながら、早く涼しくならないかと空を眺めていたのですが、今日も長袖じゃないと寒いほどです。気象庁は秋の始まりを9月としているらしいのですが、今年は本当にそんな実感があります。

そんな訳でもないのでしょうが、最近のpolkaはよく鳴きます。動物が鳴く場合、特に野生ではなく、ペットとして飼われているものは、大抵何かを訴えかけている時です。10年も暮らせば大体分かるだろうと言われそうですが、水やえさが欲しい以外はほとんど理解出来ないですね。

水やえさが欲しい場合は、入れる容器の前で待っていたり、その鳴き声にも特徴があります。モンゴルの発声法にホーミーというものがありますが、丁度そんな感じです。そして、それは非常に耳障りで、寝ていてもすぐ目が覚めてしまう程です。

以前はそんな鳴き声ばかり聞いていたと思うのですが、この頃は僕のすぐ横でソファーの背もたれ部にいるときなどに、か細い声で鳴く時があります。もう、甘える年齢はとっくに過ぎているのにと思いながら、喉を撫でると、目を細め自分から顎を上げるしぐさをします。人間も年を取っていくと子供に帰っていくとよく言われますが、猫もそんなものなのかなと思い、自分もそうなのだろうかと考えたりします。

誰しも、自分が20代の時に20年後の自分のことなど想像もしないと思いますが、僕は45歳を過ぎた頃、この先の20年は明らかに今までの20年とは違うだろうことをはっきりと理解しました。

つまり、この先の20年は自分に残された時間の一部だということです。人の寿命は誰にも分りませんが、平均寿命を考えると、少なくとも、僕にはそう感じられました。そして、残された時間の中で、僕以外の誰かにどんなものを残せていけるのか、とも思いました。

polkaが時々発するか細い鳴き声を聞くたびに、ふっとそんな想いも思い出します。


まだ、時間はあります。ゆっくりと考えていこうと思います。

2009年9月3日木曜日

ビートルズ

9月9日にビートルズの全オリジナル・アルバム・リマスター盤が発売されます。初回発売分は、映像が入っていたり、ジャケット等凝ったものになっているようです。日本では、NHKで特集番組がありますね。9月6日、12日に、BBCが制作したものを日本向けに解説を加え、分かりやすい放送にしているとのことです。

僕とビートルズの出会いは、中学1年の頃です。その時には、ビートルズは既に解散していましたから、ラジオから流れる楽曲やビートルズストーリーといった番組で知ったように思います。

僕の中学時代というと、1970年代でしたから、音楽の情報はまだラジオが主でした。フォークブームも手伝って、深夜放送が盛んだった頃です。拓郎や陽水やかぐや姫に夢中になり、歌詞の内容も判らないのに判ったような振りをして大人ぶっていたものです。今思うととても恥ずかしい限りです。

そんな訳でビートルズはなんとなく一緒に聞いていた程度で、昼間の学校での話についていけるレベルのものでした。高校まではそんな感じでの付き合いだったのですが、大学進学で仙台を離れてから状況は変わっていきました。

大学は全国から集まってくることもあり、よく部屋に遊びに行っていた千葉出身の男は大のビートルズファンでした。彼の部屋で聞かされる音楽はビートルズだけ、しかも録音されたオープンリールを早回しして、頭だしする様子は人間技とは思えないほどでした。

そんなこともあり、僕はビートルズと聞くと、図体のでかいオープンデッキを思い出すのです。CD化されてから、彼がどうしたかは分かりませんが、その時に聞かされた一つ一つの楽曲は、それ程質の良くないスピーカーの音と共に忘れることの無い思い出のひとつです。そしてそれ以降、僕は主に洋楽を聴くようになったのですから、かなり影響は大きかったわけです。


ある番組で坂本龍一さんが話していた言葉がビートルズを象徴しています。

9.11が起こった直後、ニューヨーク市内の街中溢れていた音楽が止まりました。人々はそこで起きた信じられない光景に驚き、嘆き、次の朝を迎えました。そんな時、セントラル・パークの一角で、一人の若い男性がギターを抱え、ある歌を唄いはじめました。

その曲が、ビートルズの”yesterday”でした。

そして、それはレクイエムでもあったわけです。

2009年9月2日水曜日

Michael Kenna 「IN HOKKAIDO」 Landscapes and Memory(RAM)


昨日届いた一冊の写真集。

Michael Kenna 「IN HOKKAIDO」 Landscapes and Memory(RAM)

ペーパーバック版の小ぶりなサイズですが、装丁も少し変わっていて、もちろん中の印刷も美しいものです。

マイケル・ケンナ写真展「In Japan」を東京都写真美術館に観に行ったのが、2006年5月終わり頃だと記憶していますが、そのとき展示されていた北海道の風景が未発表作品も含めてまとめられているようです。

マイケル・ケンナはあまりに有名ですので、いまさら説明する必要がないと思います。

僕は作品自体が持っている詩的な感じや美しすぎるほどのプリント品質はもとより、彼が写し撮る風景の精神世界(心的風景)に強く惹かれます。特にオリジナル・プリントを観ると一層その思いは強くなります。

眼に見える具象としての写真作品を観ながら、心的風景というのは少しおかしいかもしれませんが、どこか日本的な水墨画の世界のようでもあり、やはり伝統的なイギリス絵画に通じている印象も受けます。

僕はそんないくつかの作品から、時折、風景画家のターナーの絵が思い浮かぶことがあります。ターナーの作品は晩年になるにつれて物の輪郭がぼやけ、風景画でありながら一種抽象画のようでもあります。もともと風や大気といった眼に見えない、形の無いものを表現し続けていたので、当然の成り行きなのかもしれません。

一見して全然違う作風であるのに、マイケル・ケンナの作品からターナーを連想するのは、2人とも同じイギリス人のくくりとしてではないと思います。2人とも写実的であるにも関わらず、眼に見える目の前の風景を単純に切り取るという、いわゆる作業的な部分(そこには常に卓越した技術がありますが)以上のものを感じるからです。

写真集に収められているイメージは、マイケル・ケンナの作品を見るにはあまりに小さすぎますが、イメージひとつひとつの静寂の世界には、あらゆる感情や心情が風や大気が渦巻いているように広がっているのです。

2009年9月1日火曜日

一人芝居 -自意識のスタイル-

役者1人だけで演じられる芝居。

舞台の大、小はあるけれど、舞台上にはたった一人しか存在しないし、誰も助けてくれません。そんな、究極でもあり、役者の度量があからさまに見えてしまうもの。それが一人芝居です。

イッセー尾形「都市生活カタログ」シリーズ
加藤健一「審判」
白石加代子「百物語」シリーズ(朗読劇)
大竹しのぶ「売り言葉」 
戸田恵子「なにわバタフライ」
風間 杜夫「カラオケマン」「旅の空」「一人」3部作、「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」

僕がこの5年の間に観た一人芝居です。一人芝居は数多く上演されていますが、なかなか観に行く機会がありません。年に1、2本といったところでした。やはり、劇団・プロデュース公演やミュージカル等のような総合芸術としての演劇を観る方が好きだった為と思います。

一人芝居といってもさまざま手法があります。ほとんどは、一人の登場人物を演じ、あたかもそこに相手役がいるかのように物語を進めるやり方です(加藤健一、戸田恵子、風間 杜夫)。それとは逆に主となる人物を演じながら、他の役も舞台上で演じるもの(大竹しのぶ)、それから一人の人物の行動やしぐさに焦点をあてたり(イッセー尾形)、本を読み進めながらその場その場を身体表現とともに物語る(白石加代子)ような、一種パフォーマンス的なものですね。

さて、この中で一番圧巻で、心打たれた芝居はというと、加藤健一「審判」です。

加藤健一さんは、「審判」を公演したいがために、自身で加藤健一事務所を立ち上げました。
バリー・コリンズ作のこの作品は、2時間半休憩無し、舞台上には証言台と人間の骨が一つだけ、軍事法廷の証言の場として主人公であるロシア兵士のモノローグが延々と続きます。
しかも、その内容は非常に重く、深く、そして人間が本来持つ矛盾性を多く含んでいるため、観ている側にも非常に負荷が強いられます。また、第二次世界大戦中の実話を下書きとして、フィクション化されていることが、よりリアルに感じられる所以であると思います。
台本は分厚い電話帳一冊分にもなり、当然ながら、役者にも考えられないほどの精神力と体力を要求することになります。

僕は、2005年に25周年記念公演と称された舞台を観ました。加藤さんは、当時55歳ぐらいだったと思いますが、演じることへの強靭な精神力とバイタリティーがまだまだ感じられる舞台だったように思いました。次の公演があるとすれば、通産215回目となり、区切り良いように思いますが、難しいかもしれませんね。

役者の魅力の一つに、それぞれの自意識のスタイルというものがありますが、加藤さんは「審判」を繰り返し演じ、自身もその度に年を重ねられることで、独自のスタイルを確立してきたと思います。その為、幾たび上演されても、観る側はどこかしら新しい発見がある訳です。

そのことは、役者だからではなく、あらゆる表現者に当てはまることだと考えます。
そして、そんな自分自身の拠りどころや表現手段といったものへの飽くなき追求に、僕らは感動し、魅かれるのだとも思います。