2010年8月31日火曜日

先ずは楽しまなくちゃいけないのです。

全国的に、今日で小学校の夏休みが終わりますね。仙台は既に始まっていますが、幼い頃どうしてこちらは他より短いのと疑問に感じていました。その代わりに、冬休みが長いんだと言われて、何となく納得していたように思います。


夏休みや冬休みといった長い期間の休みでは、その間の宿題や自由研究をしなければならないのですが、僕にはその記憶がほとんどありません。もちろん当時もあったわけですが、なんとも思いだせません。おそらくは、自発的に好きでしていたわけでは無く、やらされていた感たっぷりで、あたかも季節ごとのルーチンワークのように感じていたからかもしれません。

自分が楽しんでしていた記憶は、たいてい思い出として残っているものです。また逆に苦しかったことも然りです。人間の記憶がどんなメカニズムなのかは良く分かりませんが、僕の場合はそれが当てはまるようです。

大人になり、たとえそれが仕事であったとしても、変わりありません。仕事と思いながらも自分で楽しめていた出来事は案外覚えているものです。(楽しかった一部のことが頭に残り、事実とは異なっていることもありますが)

それでも、四六時中そんな思い出が現れてくるかと言うと、そうではありません。何かのきっかけによって蘇ってくる場合がほとんどで、普段はそんなことを思いつくことはありません。おそらくは、そんな出来事の断片と言うべきものや圧縮されたものが、記憶の領域にランダムに保管されていて、ある瞬間に繋がったり、解凍されて、思い出す行為へと変わるんでしょうね。

辛かった過去の出来事も含めて、思い出や記憶はその人にとっての唯一無二の財産だと、僕は思います。まぁ、そういう積み重ねが、人の営みというか歴史で、あるきっかけで思い出しながら、現在の自分へと繋がっているわけです。決して懐古趣味ではなく、事実そんな気がします。

なので、先ずは楽しまなくちゃいけないのです。

2010年8月30日月曜日

やることが溜まってきたぞ!

明日で8月も終わります。暦の上ではすっかり夏も終わり、そろそろ涼しくなってよと毎朝空を見上げているのですが、一向にその思いは伝わらないようです。しかも、なんやかやといろいろとしなければいけないことが溜まっています。


これをアップした後すぐに、出かけなければ片付けられないくらいの量になっていますが、まぁ何とかなるでしょう。帳尻を合わせるという言い方は好きではないのですが、そのぐらいの気持ちの方が良い場合がありますし、自分ひとりの考えや判断でおこなっているのですから、その結果は全て自分に帰ってくるわけですから・・・。

全てをひとりで行っていても、実は色々な人との関わりの中でしていることなので、決してひとりの責任だけで済むとも思ってはいないのですが、過剰に考えていると身が持たないこともありますから、その辺りのバランス感覚は必要ですね。

この時の身が持たないというのは、もちろん体力的な部分を指していると思うのですが、メンタル的な部分が深く関わっています。むしろ、メンタル面で自分が大丈夫だと思えていれば、結果が悪くても何とかなると個人的には考えています。それでも、その現実を客観的に見た場合、愕然とする場合もあるわけで、時に現実逃避をしたくなったりもします。(実際するわけではないのですが)

何はともあれ、やることをやる、自分で決めたことを愚直に行っていくことが、今出来ることだと思っています。もちろん、合理的にかつ効率よく行動し、結果を追い求めることとのバランスも大事にしなければいけません。

でも、まぁ、それは今の僕には「ダイジ」であって、「オオゴト」ではないのです。

あぁ、そろそろ出なくちゃね。

2010年8月29日日曜日

松井冬子という女性

昨夜23:30から放送されたNHK「トップランナー」を久々に見ました。今はほとんど見ることも無くなったこの番組でしたが、昨夜は画家の松井冬子さんがゲストだと偶然知り見ようと思ったのです。僕が初めて見た松井さんの作品は、これだったと思います。


いつどこで目にしたのかはあまり覚えが無いのですが、円山応挙を代表とする幽霊画しか見たことの無かった僕にとっては、構図等はそれほど変化がないのに、何故か惹かれるものでした。長く描かれた一本、一本の髪の線の柔らかさと確かに存在しているかのような力強さが印象的たったのを覚えています。


松井さんは良く言われる美貌の日本画家的な扱いをされる場合があるのですが、作品から受けるインパクト同様に実に芯のはっきりした分かりやすい女性のように見えます。東京藝術大学の大学院までいったことは知っていましたが、まさか女子美大を卒業後、4浪の末に入学していたことを、昨日初めて知りました。本人曰く、受験は精神を蝕みますと話していたように、その時は大変苦労だったと想像しますが、一方で絵や自分の夢や行動に対しての執念のようなものを感じさせます。

コンセプトは作品の一部だとも話していましたが、それは広い括りでの現代美術を意識したものだと思います。そこにはこの時代の中で、自分の描こうとする世界を忠実に、そして常に思索しながら表現していく姿勢が感じられます。また、自分自身もそうである女性しか描けないし、描かないと言い切るところにはすがすがしささえ感じます。(作品自体はそうではありませんが)

僕は日本画自体、格別好きなわけではありませんが、使用している岩絵の具の質感や表現に魅力を感じることがあります。その伝統的な技法で描かれる少し特異な、かと言って生理的に受けつけないような類のものでは無く、普遍的なものへの繋がりを否応なく感じられる松井さんの作品を見続けていきたいと思います。

2010年8月28日土曜日

グチっぽい感じだな

最近どうもグチっぽい言葉が出がちなので、気を付けないといけないと思っています。”Sha-gaku”以降、在仙や近隣の写真家さんによる企画を行っていることもあり、お客さんも来てもらえるようになってきているし、新聞にもよく取り上げていただいたりして、少しは知られてきたかなとは感じています。


それにも関わらず、気心が知れた方と話をしていると、ついそんなことになってしまっているようで、帰られた後に、ひとり凹んでいる場合があります。と言ってもそれほど深刻な事では無く、誰にでもあるような程度のものですので、ご安心を。

先日、次回写真展の告知をサイト上で行いました。そう、次回はハービー・山口氏になります。昨年イベントも含めて、実際のハービー氏とお会いして、その人柄に触れた時から、機会があればまた行いたいと思っていたのです。人々を写真で幸せにしたいというメッセージはあまりに単純明解で、口に出すこと自体何かくすぐったい感じがしますが、これって基本かもしれないなと思ったわけです。そして、僕自身、もう一度そんな写真に触れ、笑顔になるお客さんを見てみたいってのが開催の一番の理由でもあります。

その後の年内の予定は、実はほぼ決定しています。近日中に告知をする予定ですが、個展になります。当初考えていた”Sha-gaku vol.2”をずらして行いますので、僕自身かなり期待をしていますし、全面的にプロデュースしていきます。お楽しみにして下さい。

そして、1月後半から”Sha-gaku vol.2”を開催したいと考えています。これは、写真専門ギャラリーとして、出来れば定期的な場となってくれると嬉しいのですが、まだ参加される方が集まっていない状況です。もし、自分の作品を見て、笑顔になってくれたり、あっと驚いてくれたり、感動してくれたりする姿を見てみたいと思っている方は、是非参加して欲しいのです。写真専門で行っているには、それなりの理由もあり、参加された方々へのサポートにしても他のギャラリーにも劣らないと思っています。

時間はまだ有りますので、是非検討して下さい。

http://kalos-gallery.com/event/planning.html
 
なんか、また少しグチっぽい感じだな。

2010年8月27日金曜日

秋への予兆

どんよりとした曇り空。今朝はそれほどの暑さは感じられません。それでも、天気予報では日中は30℃を超えるようで、真夏日更新が続くようです。昨日は夕立もあり、ここ数日天候が安定していないのも、もうじき来る秋への予兆なのかもしれません。


季節の中でも、秋と言えば、「○○の」と多くの形容詞が付くものです。食欲、読書、スポーツ、芸術と、今思いつくだけでもこれだけありますから、人によってはもっとあるのでしょうね。それぞれの形容には、諸説いろいろとあるようですが、本当のところは明確ではありません。僕自身は、夏のギラギラした太陽の季節から、しんとした冬の季節の間の気持ち的にも体調的にも比較的落ち着いて物事に当たれる感じからそう言われるのだと思っています。

人は不思議なもので、そう形容されることで、何かそうすることが当たり前と言うか季節的にもいい感じだよねとか思えて、行動に走ることがあります。食欲は別にしても、形容されるほとんどは生活に直接関連していませんし、特にこの時期にしなければというのも案外少ないものです。

これも一種のモチベーションなんでしょうね。形容される言葉を見たり、読んだりして、理由はどうあれ、その人自身にその気が生まれるのですから。人って、そんなに単純なのと言われそうですが、もともとはいたって単純な生き物であったはずです。それが、社会状況や自分を取り巻く環境がそんな単純な思いとか考えを阻害し、自分自身で抑制しせざるを得なくなってしまったり、複雑に考えた挙句結局は時を失して行えなくなっているような気がしてなりません。

僕は、モチベーションのもっとも大きなものは、自身の気持ちなんだとずっと思っています。あてがえられたり、押し付けられたり、促されたりしても、自分にそれを行おうとする核が生まれない限り、決して芽生えないわけです。種は自分で蒔かないと・・・。

秋は、そんな自分の気持ちをもう一度落ち着いて考えさせてくれる季節でもあるのです。

2010年8月26日木曜日

今日は、ちょっとだけ展示の紹介です。

今日は、ギャラリー内の展示状況を少しだけ紹介します。


入口のドアを開けると、すぐに菅原さんの作品が展示されています。”Jazz Bar”のタイトルよろしくライティングもかなり抑え気味にしています。普段の1/3も使用していないので、入られた方はまだ準備中のような感じがしますが、その世界に入り込むと自然に音や演奏の躍動感が感じられると思います。

その先にある、L字の小部屋に入ると、一転して明かりに溢れるような状態になります。通常のライティングなのですが、入口からの暗さと比較すると、まるで光の渦に取り囲まれるような感覚になると思います。すぐに、小出さんの作品が、整然と並んでいます。今はもう無くなってしまった商業施設の生きていた名残が切り取られ、一枚一枚を演出を省き見せることで、かつてそこにあった温度感や情感といったものが感じられると思います。


次に街の夜の情景を写した亀卦川さんの作品が続きます。街を歩き彷徨う自分の心象を、その流れの中で見せるような展示になっています。


あまり説明をすると面白くなくなりますので、この程度にします。実際に目にし、ギャラリー内の雰囲気と共に自由に感じてもらえれば良いと思っています。


おそらく、今このような形で写真表現を見ることが出来るのは、仙台ではここだけだとの自負もあります。そして、写真というものは、そこにある光を捉え、形となって表れてくるものであることを、再認識出来るはずです。





2010年8月25日水曜日

自然に枯れていくのだから・・・。

それにしても、これだけ暑さが続くと思考力が鈍ってくるのは、僕だけでしょうか。他に考え事をしていたり、さほど興味のないことは、それが目の前で起きていることでも頭に入って来ません。聞き流すとか、敢えて耳に入れないようにする場合もあるにはあるのですが、そういうわけでもなく、ただぼんやりとしている時が時折あります。


単純に暑さのせいだけではないと思いますが、ちょっと気を付けないといけないですね。僕たちは現在、情報過多の世界で生きていると言えます。そんな情報の渦の中から、自分にとって興味・関心のあるものを選択し、それを利用ないし取り込んだりしているのですが、直感的に有用もしくは有効であるかを考えている人って、意外に少ないような気がします。

もちろん生活に直結するような情報については、それを第一に考えますが、そうでないものについては、その有用性云々よりもむしろ何か引っかかるとか面白そうといった感覚の方が強いように思えます。そう考えると、僕自身、興味あるもの、関心を惹かれるものが少なくなっているのかなとも思ってしまいます。もしくは、限定されてきているのかと。

これはちょっと良くない傾向ですね。年齢と共に頭が固くなると世間では言われていますが、これは経験や常識の占める割合が、思いこみやその時の判断に多く関わっていくと同時に、自分自身の予定調和を崩したくないとの気持ちが頭に働きかける(もしくは逆)から起きるように感じます。

無理してアンテナを高く、あれこれ無用なものまで情報として取り入れる必要はありませんし、その為、足元に有る有効な情報を見逃してしまうよりは、ある程度の範囲内に抑えることも必要です。でも、そんな中で、情報が限定されてきている(限定している)ことは、僕自身はちょっとまずいと思うわけです。

昨日の内容と重複するかもしれないけど、もっと生で触れ、いろんな人やものと接しないといけないですね。何もしていなくても、自然に枯れていくのだから・・・。