2009年7月31日金曜日

polkaとの出会い


ここ1週間は雨続きで、すっきりしない毎日です。

明日から8月だというのに、この調子だと今年は梅雨明け宣言がないかもしれませんね。

ところで、今日はpolkaとの出会いについてのお話です。

以前も載せましたが、polkaは今年で11歳になりました。

11年前の朝、当時住んでいたい多摩川沿いのマンションの玄関に捨てられていました。彼は小さな箱に敷いてある布に包まれ、まだ右眼が開いていない状態で泣いていました。生まれてから1週間も経っていなかったと思います。

住んでいたマンションはペット不可だったのですが、1階に住んでいたオーナー一家のおばあさんが、可哀そうだね、飼ってもいいよと言ってくれました。当時おばあさんの言葉は一家の中でも絶対でした。

そんな訳で、僕はpolkaを飼い始めたのです。あまりにも小さい(ハムスター程度の大きさでした)子猫を前にして、僕が一番にしなければならなかったことは、医者に連れていくことでした。開かない眼のこともあったし、なによりどうやって育てるかよく判らなかったからです。

デイバッグから取り出したpolkaを診察した後、もしかしたら眼は開かないかもしれません、と医者は言っていました。それから、ミルクのやり方やおしっこのさせ方を教えてもらい、家に戻りました。目薬を点し始めてから2日後に右眼が開いてくれました。そして、その視線ははっきりと光を追いかけていました。

再度、病院で検査してもらった結果は、もう大丈夫とのこと。ただ、眼やにが出やすいので柔らかい布で拭いてあげて下さいと言われました。そんなわけで、今でも眼やには出やすいですが、polkaは全然気にもしていません。

それからしばらくは問題のない毎日が過ぎて、体も順調に大きくなっていきます。しかし、2ヶ月後のある日またまた事件が起きることとなりますが、この話は又別の機会にします。

上の画像は現在の定位置、ソファーの上に横たわり、カメラ目線をする画です。クリコ風に画像コントロールしています。以前は暇さえあれば、polkaの写真を撮っていたのですが、最近はすっかりご無沙汰しています。

もうすっかり大人になり、何年か前からはあまり顔つきや体形の変化が少ないので、成長記録という意味合いもなくなっていますので、純粋に被写体という感じですね。

これからも不定期ですが、polkaの話も載せていく予定です。

2009年7月30日木曜日

水と油

若田宇宙飛行士がおよそ4ヶ月半の宇宙長期滞在を終えて、まもなく地球に帰還します。長期滞在クルーとしては、日本人では今回が初めてです。

彼のミッションは、国際宇宙ステーションのロボットアーム運用を担当し、S6トラスの取付けや船外活動の支援などだったそうです。

作業内容の映像の多くは伝えられていませんでしたが、彼自身が行う理科の実験のようなものは、テレビでよく取り上げていましたね。

僕たちは地球上にいて、重力を強く意識することはほとんど無いですよね。物が下に落ちたり、宙に浮くことなくごく自然に歩行できる事を、当たり前のこととして捉えています。そんな意味でも、無重力である宇宙空間での素朴な実験は、非常に面白かったですし、地球での重力の存在を改めて感じることが出来ました。

そんな中でとてもおもしろかったのが、水と油の実験でしたね。

水と油という言い回しは、お互いに合い入れないものを意味する言葉としてあります。ドレッシングを作る時でも、混ぜた時は一緒になっているようでも、しばらくすると分離します。地球では重力があるので、物に比重が発生しているからですね。小学生の頃に習ったような記憶があります。
でも、当たり前ですが、宇宙空間では混じってしまいます。

宇宙空間にそりの合わない人同士を連れていくと、仲良くなれるんじゃないかと思ったりします。実際は人の相性に重力は影響していないと思うので、そんなことはないと思いますが。

でも、宇宙から青く輝く美しい地球の姿をみたら、日常の些細ないざこざや出来事なんか忘れてしまうでしょうね。宇宙飛行士は帰還後、よく、自分の人生観が変わってしまうと言われていますから。


いずれは、一般の人でも飛行機にでも乗るように、宇宙へ行くことが可能になると思いますが、今は宇宙から配信されてくる地球の映像を眺めることで満足していたいと思います。

帰還は、日本時間 7月31日深夜の予定です。

この後の宇宙飛行士としてではなく、彼自身の行動にも興味がある所です。

2009年7月29日水曜日

俳優・山田辰夫さん 逝く・・・。

俳優・山田辰夫さんが26日午前10時15分、東京・西多摩郡の病院で亡くなりました。53歳でした。

ネットでこのニュースを読んだ時は、やはり非常に驚きでした。年も近いので、普段はあまり考えていない死を、身近なものとして改めて感じました。

デビュー当時の山田辰夫さんは、僕自身はあまり興味を覚える役者ではなく、しばらくは映画やテレビでの出演を特に感慨もなく眺めていた程度でした。

2004年11月にテレビ放映された舞台”あの川に遠い窓”を観た時から、その印象は180度変わりました。

”あの川に遠い窓”は、弘前劇場の主宰であり、劇作家の長谷川孝治さんが山田さんのために書き下ろした舞台です。実を言うと、この放送を観ようと思ったのも、長谷川さんが作る芝居に興味があったからでした。

弘前劇場は、地方から良質の演劇を全国(特に中央)に発信し続けている日本で唯一の劇団といって過言ではないと思っています。弘前劇場の劇団員は、基本的に演劇の他に生活の基盤を持っています。その上で、芝居を通し自己表現を行い、活動自体も成功を収めている稀有な存在です。

”あの川に遠い窓”は、山田さんが95年に第1回日本劇作家協会最優秀新人戯曲賞を受賞した長谷川さんの戯曲を読み、感動し、自らが直々に長谷川さんを訪ね、自分のために戯曲を書いてほしいと頼んで出来たものです。

昨夜、録画していたDVDを取り出して、観ました。

放映された2003年シアタートラムでの公演は、山田さん自身再々演でした。舞台上に当てられる明かりはシェード越しに窓から入る光だけともいってよい程の暗さです。その空間の中で、男二人だけの緊張感のある濃密な会話劇が繰り広げられていきます。

教師役の山田さんとその教え子の父親であり、やくざ役の村田雄浩さんが、互いにかみ合わないモノローグのような会話をすることで、それぞれの状況や苦しみや悲しさを表現していきます。山田さんは教師といういわば良識の象徴のような立場でありながら、ラストになるにつれ、一人の人間として誰にでも潜んでいる狂気を過激なまでに演じています。


山田さんは、この公演の2年後に胃を全摘出しています。

そして、昨年暮れに転移が発覚します。

最後の仕事は映画「沈まぬ太陽」(10月24日公開)。転移が分かった後での仕事だったが「依頼された仕事はやり通したい」と撮影に臨んだといいます。

もう山田さんを観られないと思うと本当に残念です。

御冥福をお祈りします。

2009年7月28日火曜日

“写真家”と”カメラマン”

昨日撤収の手伝いに来てくれた2人と昼食を取っている時、一人からこんな質問がありました。

“写真家”と”カメラマン”ってどう区別しているのですか。

彼女らは仙台の専門学校で写真の勉強をしている人たちです。そんな彼女らでも人と話をしていると、いろいろな言い回しの中でそれらは使われ、よくわからなくなるということでした。

文字だけを見ると、どちらも写真を撮る人なので、やはり分りづらいですね。

その時は、”写真家”は、写真を芸術表現として撮影、制作している人、”カメラマン”は、商業や広告を客観的に事実として撮影する人と言うようなことを話しました。


夜、部屋に戻り、広辞苑で調べてみました。

“写真家”
1. 写真を撮る人。2.特に写真を芸術の表現手段として撮影・制作する人

“カメラマン”
1. 専門の写真技師。写真家。2.新聞社などの写真撮影担当者
とでています。

何か、分かったような、分らないような言い回しですね。

その他の言い方として、”フォトグラファー”や”写真作家”などがあります。

僕は、アートとして考えれば、”フォトグラファー”という言い方があっているような感じがします。

そして、制作された作品には、明確なテーマやコンセプトをあり、芸術性をも備えている。なおかつ、制作活動を継続して行えている人たちが、”フォトグラファー”と言えるのではないかなと思っています。

2009年7月27日月曜日

撤収作業

昨日から展示品の撤収作業を行っています。

昨日中に半分以上は済んでいるので、残りを本日中に片付ける予定です。

今日はお手伝いを頼んだ若いメンバーも加わるので、作業はスムーズに進むと思われます。
展示品を撤収するにつれて、白い壁面が徐々にあらわになってきます。
虫ピンの跡が展示作品の多さを物語っていますね。
次の会期まで多少間があるので、目立つ個所は修復しようと思っています。

次の高橋和海写真展は、月と海が一対になった美しいカラープリント作品です。1mを超える大判も3点あります。いまから展示が楽しみです。

ギャラリーをやって一番楽しいのは、誰よりも早く展示作品を見られることです。そして、その作品を展示していくにつれて、徐々に形づけられていきます。最終的にスポットライトの位置と光量が決まると全体としての作品が完成されます。

今回の展示では、月と海のイメージを効果的に伝えられるように、現在考えているところです。これが又楽しい所でもあります。

展示後の概要は、HPにも掲載予定です。

状況によっては、会期前にトライアウトのような形でお見せするかもしれません。

楽しみに待っていて下さい。

2009年7月26日日曜日

戯曲の楽しみ


今日は久々にお芝居のことを書きます。と言っても、戯曲についてです。

上の画像は、小学館から年4回出版されている”せりふの時代”という季刊誌です。
日本劇作家協会のメンバーである井上ひさし、川村毅、坂手洋二(敬称略)ら8名が編集委員として名を連ねています。毎号3点ほどの戯曲やその他演劇情報が掲載されています。

多くの方は、戯曲を読む機会はあまりないと思います。小説と違い、基本的にせりふにより物語が進行し、その状況は大まかなト書きとして説明されている場合が多いので、とっつきにくいのと、ほとんどの戯曲は文章として出版されることが少なく、書店でも平積みされることがないから、眼にも止まりません。

芝居は生で観る物ですが、戯曲として読むと違った印象を受けます。特に、芝居を観る前に戯曲を読み、それから実際の芝居を観ると、まるで違うもののように感じる場合があります。

戯曲を読むということは、舞台美術や場面、場面で使用される音響効果、役者の演技が見えないわけですから、すべて自分の頭の中の作業になります。おのずと、いくつかの部分は描かれる内容に解釈の違いが生まれるわけです。

このことは、シェークスピアの同じ演目が、400年以上もいろいろな演出家や劇団で上演されていることでも分ります。つまり、ある程度の決めごとはあっても、演出や発想や演技の方法などによって、芝居はいかようにでも変わるということです。

又、このことは上演期間中の1日、1日でも、まるで変わってしまう可能性を意味しています。
実際、上演初日と最終日がまるっきり違う芝居になっていることは、よくあることです。僕が2007年暮、世田谷、シアタートラムで観たカフカの”審判”は、2時間半の上演時間でしたが、アフタートークでの松本修さんの話では、初日は3時間を超えていたそうです。

今は芝居を観る機会が大幅に減りましたので、しばらくは本の中の芝居を楽しんでいこうかと思っています。これは、想像力と創造力をかきたてる遊びでもあります。

先ずはじめは、芝居を観てから読むことをお勧めします。

生の芝居は一瞬、一瞬で過ぎてしまいますので、判らなかった部分は必ずあります。そんな場面も活字として読むと理解できる場合があるからです。

読み進めていると、次第に芝居の中に入り込み、役者や演出家や舞台美術家にでもなったかのような錯覚を覚えてくるかもしれません。


それも又、楽しいことです。

2009年7月25日土曜日

感謝

ギャラリーを開設して約2か月。

オープニング企画展も今日が最終日です。

試行錯誤しながら準備をし、どうなるか分からないまま日々進めてきました。

知名度の無いギャラリーながら、多くの方に来て頂けました。幅広い世代のお客様が訪問され、それぞれの思いがあったように感じられました。

この時代に同じように感じ青春時代を過ごされた方、まだ生まれていない若い方、どの世代の方にも楽しめたのではないかと思います。

展示についても、大半の方は入口で一旦立ち止まれ、壁一杯に無造作に取り付けられた作品群に圧倒されている様子でした。一つ一つの作品を見るために腰をかがめられたり、背伸びをされたりして見ている姿は、一般の展示会では見られなかったと思います。

来場されたお客様の多くの方とはお話もさせてもらいました。写真全般のこと、モノクロについて、プリントの違いやいろいろな話をさせてもらったと思います。
初めて会い、しかも見ず知らずの僕の話を、時には1時間以上も飽くことなく聞いて下さり、本当に感謝します。(その時はかなり夢中で話しているので、僕は時間を忘れてしまっています。)あとから、時間を取らせてしまい、迷惑じゃなかったかなと少々反省もしていましたが・・・。

今回はオープニングでもあったので、早目に展示を済ましていました。
準備期間を含めると約3か月展示されていることになります。最初の1か月は一人占め状態で、夜のギャラリーに一人いると、作品の一つ一つが語りかけているような印象を受けたのを昨日のことのように思い出します。

これほどの期間を一緒に過ごしても、飽きることはなかったですね。


そんな作品たちとも、明日以降はさよならの準備です。


素晴らしい作品とお客様に心から感謝です。