2010年2月7日日曜日

そこから始まる人

朝一番に窓から見る外の景色は、僕にとってはその日一日の元気の発露にもなっていて、眩しい光が差し込む瞬間、普段と変わらない風景が少し違って見えることが時折あります。それが気分というものなのかもしれませんが、そんな気持ちの積み重ねの中、日々生活しているわけです。


そう言った事では、昨日の雪景色は、あまり気分の良いものではありませんでした。でも吹雪の中、何人かのお客さんがお見えになった時は、素直に有り難いなと感じ、それだけで気分が上々になってしまいます。

ギャラリーの性格上、会期は2カ月と長めに設定されています。僕自身は毎日、1日の点検から始まって、その間ずっと眺めているので、正直なところ徐々に新鮮な感覚は薄れてきます。

それでも、見えられるお客さんは初めて作品や雰囲気に触れるわけですから、お話をするときには、出来るだけ感じた印象なりを崩さないように気をつけています。人との出会いの中で、第一印象が強く残る場合が良くあります。良いにせよ、悪いにせよ人は外見を先ず見るわけですから、自然にそうなってしまいますし、逆にとても大事なことだと思います。作品についても然りです。

ギャラリーサイドの解説や説明はあくまでも作品に対して付随しているもので、性格やテーマなりを理解してもらう為のものです。そこから、自身が感じることには、こちらから間違っているとか理解していないとかは言えません。

なので、先ずは自身の第一印象を信じてほしいと思います。それから、さまざまな種類の作品や空間を直に体感したり、経験を重ねることで、第一印象で湧き上がる感情に変化が生じてくるようになります。それが経験知であったり、未知のものに対する理解力であったりするわけです。以前読んだ本をその後読み返した時に、感じる場面や言葉がまるで違ってくることも同じ理由だと思います。

それは、そこで終わってしまう方、そこから始まる方という言い方に置き換えられるのではないかとも思っています。その根本として、生存という意味合いでは、必ずしも必要不可欠なものではないからですね。それでも、太古の人々は壁画として絵を残し、多くの芸術は未来の技術へと繋がっています。

深刻ぶることはさらさらありませんが、人の一生はそれほど長いものでありません。だから、僕は「そこから始まる人」を続けていたいと思っています。

2010年2月6日土曜日

外は大荒れです。

外は一面雪景色です。天気予報通り、昨夜からの雪が地面を真っ白に変え、今も横殴りの風を交えて、降り続いています。しっかりと積もりそうな乾いた雪です。日本海側や内陸の地方に比べれば、大したことはない程度だと思いますが、それでも足元に気を付けて歩かなければならないのがとても億劫です。


お天気のことはどうにもなりませんので、今日は一人のんびりとしていようと思います。さて、今朝もテレビを付けてみると、トヨタが大変な事になっています。お天気どころではない状況ですね。トヨタ自身も、今回のようなリコール・不具合が立て続けに起きたことは初めてではないでしょうか。

物作りを行っているメーカーは、あらゆる状況を想定しながら、品質テストを繰り返し、市場に出してからの不具合を限りなくゼロに近い形で生産を行います。リスクマネージメントの方法も、時代性に則して変更を重ねながら行われています。

それにしても、今回の一連の出来事は、トヨタらしくないです。まぁ、事実そうなので、これほどの問題になっているわけですが。世間的によく知られているカンバン方式は、徹底的な品質基準の順守があってこそ出来ることだと、僕は思っていました。乱暴に言えば、その日の生産はその日に調達したもので行うわけですから、何かあった場合は生産が止まってしまいますからね。

90年前半からだと思いますが、バブルもはじけ、物作りの世界でも急激に生産の海外シフトが始まりました。部品の調達はもちろん工場建設、移設などを行い、より安く、より早く、変化への対応が第一目標に変わっていきました。もちろん、一定のライン引きを行った上での話で、自社の品質基準に満たないものは受け入れられないが根本です。

当時、何度か海外(特にアジア圏)で現地調達等の仕事をした人は誰しも経験していると思いますが、先ず、質に対する考え方のギャップに頭を悩まします。それは実際物作りを行う、いわゆるワーカーの人たちに対して、どれほど理解してもらえるかで成功するかどうかが決まると言ってもよいと思います。

今回の場合は、アメリカでは現地調達品質、プリウスのブレーキ制御は開発・検証での甘さが直接の原因のように感じますが、本当はそれだけではない気がします。車産業は日本の基幹産業のひとつでもありますので、早く解決し、信用回復してほしいと思っています。

研究・開発のスピードは年々その早さばかりを求められ、その為、ある種妥協も生まれることは事実としてあります。それでも、技術者には自分の納得しないものを世に送り出すことは出来ないとの思いやプライドもあります。今一度原点回帰し、らしさを取り戻す必要があるように感じるのは、僕だけではないと思います。

2010年2月5日金曜日

真冬日に思う

連日寒い寒いと言っていますが、今年は冬らしい冬になっているだけなのかもしれません。今朝も、寒さに震えながらカーテンを開け、下を覗くと積雪がありました。昨夜遅くからいつのまにか雪が降っていたのですね。

天気予報では、今日、明日は真冬日に近いようです。真冬日は、最高気温が0度未満の日と言われていますが、これに風が加わってくると体感気温が益々下がってきますから、より防寒して表に出なければなりませんので、それだけで億劫になってしまいます。

近頃はどうなのかよく分かりませんが、仙台って北国の中でも寒さに対しては中途半端なような気がしていました。雪国のように家全体で防寒対策をしているわけでもなく、部屋の中もぽかぽかになるほど暖めてもいないので、家の中でもある程度着こんでいる事が多いように思います。

よく、もっと寒い地方の人が仙台に越してきた時、寒さの捉え方が違うと言っているのを聞くことがあります。これまで部屋の中ではそれほど厚着をせずに過ごしていたのが、余計に一枚着ていないと寒いね、なんてことも言われたりします。

僕も久しぶりに帰ってきたわけで、確かにそうかもしれないなと時折感じます。もっとも子供の頃は今よりもっと寒かったり、雪も積もっていた記憶もあるので、その頃の感覚とはまるで違うものだと思います。

人の感覚は、非常におぼろげでその時その時で変わっていくものです。それは、その人を取り巻く環境に大きく左右され、慣れや習慣、経験によっても変化していきます。また、一見平凡な日常の中で徐々に変わっていくものについては、その速度がゆるやかであるので、自分自身でも気が付かない場合があります。

僕自身ドラスティックな変化は、生理的に好きでは無く、その傾向は年齢とともに上がっているように思います。変化に対する順応という事だけを捉えれば、若い時分のそれよりも劣ってきているとも感じています。

それでも、いろいろな物や事に対する感覚は、絶えず変化しながらも、常にONの状態でいたいと思っているし、その状態が無くなった時がサヨナラの日なのかなとも漠然と考えたりします。

2010年2月4日木曜日

polkaは元気です。

いやぁ、寒いです。昨晩も刺すような寒さに震えながら、自転車に乗っていたのですが、今朝はまた一段と寒さが強くなったように感じます。このところ、陽が射していても雪が舞っていたり、雪解けの水たまりが夕方過ぎには凍っていたりして、仙台も立派に北国であることを意識させられることが多いですね。


そんな中、polkaは年末のフン詰まりからすっかり癒えて、調子が良さそうです。猫はこたつで丸くなると言われているように、寒さにはそれほど強くはないので、僕が部屋にいない時は、ベットにもぐり込んでいるようです。それでも、夜部屋のドアを開けると、すでに起き出してきて、目の前で出迎えてくれています。

東京で借りていたマンションは、4階建で1フロア1世帯というちょっと変わったところで、しかも1階が駐車場だったので、合計3世帯しか入居していませんでした。2階に住んでいた僕はある時部屋にpolkaと友人を置いて、外に買い物に行ったことがありました。買い物を終えマンションへ戻り、1階の共同玄関のドアを開けた瞬間に、polkaは部屋の玄関ドアまで走りその前で待っていたと、一緒に残された友人が話していたことがあります。

また、僕ひとりだけではなく遊びに来た人なんかと一緒に玄関ドアを開けた時は、必ず奥の部屋に隠れていました。その人が自分に安全な人かどうかを先ず確認しているようで、決してドアの前で待つことはありませんでした。マンション自体に滅多に人が入ってこない事もあったので、余計そうだったのかもしれません。

最近は休みの日に昼間一緒にいることが多く、自然にその行動が目に入ります。日常茶飯事的に起きている音(テレビや音楽など)にはほとんど関心を示さず寝ているのですが、ある特定の音については非常に敏感で、特に廊下を歩く人の足音やドアを開け閉めする音がするとすぐに首をもたげます。

元来、polkaは臆病で、人になつくことがありません。ですので、他人にとってはかわいくもなんともない猫だと思います。僕に対しても、それほど甘えることもありませんし、すり寄ってくる基準は自分が心地よいかどうかのような気もします。競争も無くとても正直すぎるほどの生き方なので、多分このまま外に放り投げられたら生きていけないと思います。全幅の信頼と言えるほど大層なものではありませんが、今のこの状況が永遠に続くものと疑っていないようにすら感じます。

一方、人は…と考えると、ちょっとだけ気が滅入ります。でも、誰の心にももっとシンプルに素直に生きていければという想いがあるはずです。また、そんな自分の気持ちに逆らわずに生きるというか、そのことを考える行為だけで、それで良しなんだろうと感じます。

そして、それは年齢や経験に依存しないものだと、僕は思っています。

2010年2月3日水曜日

節分の日・・・鬼って。

節分の日の今朝、仙台では雪が降っていました。節分、文字通り、季節の分かれ目を表わしています。なので、明日が暦上では立春になるわけです。春近しと言ったところですが、乾いた雪が降る様子を眺めていると、もうしばらくは寒さが続くのだろうなと感じてしまいます。


今夜、一年の厄や邪気を追い払う豆まきを行う家庭もあるかと思いますが、最近ではそんな光景も少なくなってきているのでしょうね。僕も小さい頃に、自分の年齢より1つ多く豆を食べると、丈夫な体になると言われたような記憶がある程度です。

節分と言えば、無くてはならない存在が、鬼です。大抵の場合、鬼は受け入れがたい悪の象徴となっています。実際、幼いころから聞かされる物語の多くでは、鬼は人間と敵対する相手として登場していますからね。

野田秀樹さんの芝居に、「赤鬼」と言うものがあります。かなり有名な芝居ですので、聞いたことがあるかと思います。この芝居は、何度か再演もされ、さまざまなバージョンがあります。僕が知っている限り、日本、イギリス、タイ、韓国バージョンがあり、それぞれ登場する役者の数や演出が異なります。

ここで登場する鬼は、明らかに架空の存在である鬼では無く、異文化圏の人間です。ただ見たことが無い、受け入れがたい存在の象徴として「赤鬼」と称されているのです。この場で、物語の詳細やレビューを書くととても長くなってしまうので、それはしませんが、野田さんはこの芝居で、さまざまな問題提起をしています。その手段として、日本を始め、違った言語、文化圏での演出方法の違いを見せているのではないかとも思います。

一年の厄や邪気を追い払う節分の日、いまやイベントとしての趣の方が強く、有名人や著名人が神社で豆まきをしている様子がニュースとして流されることでしょう。暗い世相や不況感を少しでも明るくしようとする試みは、それはとても良いことだと思いますし、そんな心持や気概のようなものに対しては、鬼でも受け入れたい気分にもなります。

鬼は外!福は内!との掛け声よろしく一年の厄払いをすることも良し、でも、そんな厄も含めてまずは受け入れることが大事と考えられたら、今までとは違った発見が出来るかとも思います。
だって、鬼は自分の内にあるのかもしれませんから。

2010年2月2日火曜日

外は雪でしたが・・・。

昨夜から降り始めた雪が、関東でも積雪となったようで、朝一番のニュースはまずそこからでした。東京では2年振りと流れていました。そう言えばそうだったかなぐらいの感じで表に出てみると、ギャラリーの前の道路には積雪はほとんどありませんでした。平日でもあったし、車の往来で雪は道端の方に残っているだけです。


そのかわり、きんと冷えた中にも朝のまぶしい光が一面を照らしています。このまま気温が上がれば、一両日中には溶けてしまうのではないでしょうか。路面凍結の方が危険ですから、暖かくなってほしいですね。

さてと、「THIS IS IT」見ました。久しぶりの5.1chの感覚はやはりいいものです。映像自体は始めからこれを制作しようとしていないので、特筆することはあまりないように感じますが、ドキュメンタリーとしてのリアル感は充分伝わってきます。マイケルはもちろん、このショーを成功させようとしている多くのダンサーやバックメンバー、何よりスタッフの熱意は尋常では無いですね。

あんな50歳見たことないです。(僕も違った意味でそう言われることがありますが)マイケルは言い尽くされているように、稀代のエンタテイナーです。しかも、音楽やショーといった部分に対する謙虚な姿勢や発言が随所に見られ、アーティストとして超一流であることが分かります。

また、非常に感心させられたのは、自分の思いや気持ち、技術的な部分も含めて言葉として伝えようとしていたことです。時に、抽象的な言葉であっても、ニュアンスとして伝わることはままあります。合点がいくといったことです。

まぁ、監督であるケニー・オルテガ自ら、舞台下からハンディ・カメラを回している様子が何度も映り込んでいましたが、この姿がマイケルへの思いの全てを表わしていたような気がします。

2010年2月1日月曜日

準備は万端です。

準備は万端です。


何がかって言えば、「THIS IS IT」を見る準備のことです。いつもは会期の合間にホームシアター化している場合が多いのですが、今回は本日だけの為に、わざわざリアスピーカーもセットしました。普段は、リアスピーカー無しで、センター、ウーファーを含め3.1chにしています。見るものの多くがドラマ系なので、リアをセットしてもそれほど効果的でない事もありますが、まぁ単純に面倒なのでそうしています。

マイケル・ジャクソンは、正直言って僕のアイドルではありませんでした。まだ若く多感な頃にはフォーク全盛で、皆がそうであったように荒井由実やら拓郎とかにはまっていたからです。それでも、ミュージックビデオ(死語?)なるものが初めて出現して、マイケルのそれを偶然テレビで見た時に、単純にすげえなぁと感じました。今思えば、その時の映像としてのすごさよりも、パフォーマーとしてのすごさに圧倒されたのかもしれません。

マイケルはジャクソンファイブのメンバーとして、1970年代半ばにモータウンから離れました。その後、モータウンや家族間でのいざこざもあったりながら、徐々にソロとしての活動が増えてきます。そして、アルバム「Off the Wall」の大ヒットにより、これまでの少年ボーカリストから脱皮したと言われています。

そして、1983年、くしくもモータウン25周年コンサートで、「Billie Jean」の間奏であの伝説と化したムーンウォークを初めて披露したそうです。

このDVDは、幻のLONDON公演のリハーサルやオーディションの様子を映し、編集したものです。普段アーチィストは自身のリハーサルや稽古の姿をあまり見せることはありません。なので、余計興味深いのです。

偶然ですが、今回の中村ノブオ写真展で展示されている作品の多くは1983年撮影のものです。当時のハーレムは、危険で衰弱していて、近づくことすら嫌がられた街でした。それでもそこにいる人々は、穏やかで素直な表情をしています。

そんな作品達に囲まれながら、もうじき届けられるDVDを心待ちしているのです。