2010年1月14日木曜日

表現の可能性

昨日の続きになりますが、正月に見た「コンフィダント・絆」という舞台中継は2007年にWOWOWで放映されたのですが、これがちょっと変わったやり方で作られています。以前からWOWOWは、舞台についても放映を行っていて、三谷さんの作品も「オケピ!」を始め、何作品かを取り上げていました。


三谷さん(誰しもがそう感じていると思いますが)には、舞台は生で見るのが一番という思いがあり、舞台中継についてもいろいろと局サイドに注文を出します。「オケピ!」や「12人の優しい日本人」は、生中継で行っていました。通常、舞台中継の時のカメラは、多くても5台程度ですが、この時には10台以上ものカメラを準備し、さまざまなカメラアングルをスイッチングしながら放送していました。

この頃は、演劇チャンネルやDVD発売もあり、舞台中継用の撮影を行うことが多くなりました。実際、僕も何度となく撮影日と観劇する日が重なったことはよくありました。普通は、基本カメラ3台で行っている場合が多いですね。会場が大きいと少し増えますが、大概はそんなものです。舞台進行中に、カメラは動かせませんし、客席を縫うようにハンディカメラを使うことは出来ませんので、決まったアングルでの映像を別途編集するわけです。

「コンフィダント・絆」は見てしばらくすると、何か違和感を覚えます。始めは何だろうと思いましたが、ようやくすると気付きます。それは、いつも聞こえてくる客席からのリアクションが全くないのです。また、映し出される映像は、通常の固定カメラでは捉えられない部分があるので、ある意味テレビ的な感覚にも捉われます。これは何を意味するかと言うと、観客を入れている実際の舞台をビデオとして撮影したのではなく、この舞台中継の為に会場を貸し切り、お客さんを入れずに撮影しているということなのです。もちろん、クレーンやレールも使用して、撮影されているわけです。

このような趣向は、舞台放映後の三谷さんのインタビューで明かされます。インタビューでの三谷さんの言葉はとても挑戦的で、演劇といういまだ限られた人たちにのみ見られるものを、テレビという一般的なメディアを通して、生の演劇とも単なる映像作品でもないものを提示した、ある意味、表現の可能性を模索した実験者のような面持ちでした。

もちろん、実際に生で見ていただくことが一番伝わるのです。そうは言っても、本当に数多くのお客さんに来ていただくことには、物理的にも無理があるわけで、そのあたりの心境はとても理解できます。この放映を見ていると、作品自体の面白さや深さなんかよりも、そんな部分も含めていろいろと考えさせられてしまうのです。

2010年1月13日水曜日

正月三が日の三谷幸喜デー

正月の三が日、テレビをつければどの局も似たような特番ばかりで、すっかり食傷気味になってしまったので、3夜連続でギャラリーにスクリーンをしたてて、三谷幸喜さんの芝居をDVDで見ました。以前も三谷幸喜さんの芝居について書いた記憶がありますが、もう何度となく見たにもかかわらず、その度に飽かずに最後まで見せてくれます。


今回見たものは、「笑の大学」、「12人の優しい日本人」、「コンフィダント・絆」の3本でした。いずれも、発売後即日完売のプラチナ・チケットだったので、生で見ることはかないませんでしたが、幸いTV放映されたので録画しておいたものです。「笑の大学」、「12人の優しい日本人」については、映画にもなりましたので、映画を見られた方はいらっしゃるのではないのでしょうか。

僕が一番好きなのは、やはり「笑の大学」ですね。舞台には2人しか出てきません。しかも、場面は1つのみです。劇団座付作家役の近藤芳正さんとその台本を検閲する役の西村雅彦さんとのやり取りが、1日単位で繰り広げられ、ちょうど1週間目で幕がおります。

たぶんにあて書きであったりしますが、これほど完成度の高い作品はあまり無いと思っています。1週間というあまりに短い期間に、いわば敵対するような考えの2人が次第に自分の殻を解きはなっていき(主に変わっていくのは検閲官ですが)、「笑い」を介して通じ合っていく姿に都度感動を覚えてしまいます。

この芝居には、単なるコメディーであること以外に、さまざまなテーマが隠されているように思います。なので、何度見ても、前とは違った部分で気付かされることがあるのです。僕の理解力が弱いのかもしれませんが、三谷さんのストーリーテラーとしての実力と演ずる2人の演技力には本当に感心させられます。

井上ひさしさんは、笑いは人が生み出すもので、本能としてあるものではないといった意味の事を話していたと思いますが、まさにこの芝居でもそんな部分を充分に感じさせてくれます。生きる上で必要不可欠ではない「笑い」が、その実とても大切なことであり、それを創造することには大きな意味があるわけです。

アートも然りですね。

もし、これを読んで、見てみたいと思った方は、いつでもご一報を。

2010年1月12日火曜日

今日から天気が悪そうですけど・・・。

今朝のテレビで各社こぞって、寒波襲来のニュースを流していました。


何やら、今日から明日、明後日にかけて、天気は大荒れになる見込みらしいです。以前はそれほど毎日の天気なんかは気にしなかったのですが、ギャラリーをオープンしてからは結構気になることが多くなりました。

やはり、天気が悪いとお客様はめっきり来られなくなりますからね。会期も長いので、またこの次の機会にすればいいやと思うことは、心境としてはとても分かります。実際、僕も多くのギャラリーや美術館へ休みごとに見に行っていた頃は、天気が悪いとあまり駅から離れていない所や傘をさほど差さなくてもいけるような場所を選んでいたように思います。

芝居なんかで、前から入場券も購入し、この日でなければという時には、少々の雨でも気合いを入れて行っていましたが、そうでなければなかなか足が向かなくなってしまうものです。会場によっては、傘の置き場にも困るようなとても小さいところもあり、出来る限り折りたたみ傘を持っていったものですが、ちょっと強い雨だと体中濡れてしまい、これもまた隣の人に迷惑にならないかとか余計な心配をしてしまいます。

その日の体調や気持ちのコンディションって結構影響するもので、ちょっと気になることがあったりすると、なかなかその芝居や作品の中に入り込めなくなってしまいます。それでも、そんな気持ちや気分であったことすら忘れさせてくれるものは、数は少ないのですがあるにはあります。

そんな時には、大げさかもしれませんが、何か大きな幸福感に包まれている自分がいることに気づかされます。これまで体験出来なかったこと、そして今まさにそれを体験し、確かに感じられたことに対して感謝の気持ちすら湧いてくるのです。

理想かもしれませんが、ギャラリーに来られる皆さんには、そんな気持ちを感じてほしいといつも思っています。

2010年1月11日月曜日

二十歳の頃

今日は成人の日です。


今年新成人となる人は、全国で約127万人と言うことで、やはり過去最少とことです。良く分かりませんが、まぁ既に生まれてからの話ですので、年々減って行くのでしょうかね。

僕の場合は、はるか昔のことで、その時の状況はほとんど覚えていないのですが、きっと地元からも離れ、大学生だったこともあり、何事もなく普段の休日のような過ごし方だったように思います。これから、大人として自覚を持って生活しようとも意識せずに、毎日顔を合わせる友人らとの会話を楽しんだり、好きだった映画なんかを見に行くばかりで、大学にも行かずに遊んでいたような気がします。

当時は金は無かったけど、時間はたっぷりあったように思います。午前中に講義の無い日はようやく昼頃に起き出し、学食で朝、昼兼用の食事をした後、必修の科目が無ければ、そのまま行きつけの喫茶店にもぐり込んでいました。僕がいた米沢という街は、今でこそ米沢牛やラーメンなんかで全国的にも有名になりましたが、その頃はスーパーを少し大きくしたようなデパートを中心に商店街が1か所に固まっているようなとても静かな街でした。冬は雪がしんしんと降り、夏はこれでもかというくらいの蒸し暑さでしたが、今思うと、不思議と不便さを感じた記憶があまりありません。

その頃通っていいた喫茶店が、「ポッポ」という名でした。マスターが米沢の工芸品である笹野一刀彫のお鷹ぽっぽを作られている方で、そこからその名前が付いたのだと思います。金が無い僕や仲間が何時間もそこにいることを、嫌な顔ひとつせず、いつもお代りのコーヒーを出してくれました。時には、閉店までいたりすると帰りに家まで送ってもらったりもしていました。

今はもうすっかりご無沙汰してしまって、本当に失礼なことだと思うのですが、実家にある卒業した時にいただいたお鷹ぽっぽを見るたびに思いだします。近いうちに一度行きたいとは思っています。でも、もう30年も経っているので無いかもしれませんね。

そんな二十歳の頃、僕たちにはまだ社会への入り口までのモラトリアム期間があったように感じます。今はどうなんだろう。全ての流れが速くなり、高校生がアルバイトするのが当たり前で、世間との関わりも早くから持つようになったから、そんな余裕はあまり無いのかもしれませんね。

何はともあれ、新成人の皆さん、おめでとうございます。

2010年1月10日日曜日

未来の財産

何か新しいことを行う場合、それを阻害する要因は経験と知識だと聞いたことがありますが、一方で経験や知識の裏付けがあってこそ、新たなものが見つかるとも言われています。さて、どちらが大きいかと、時々考えてしまう場合があります。


終身雇用という習慣の中で社会全体が動いていた時には、変革はあまり良しとは思われない節がありました。それは伝統的な会社程その傾向は強かったように思います。僕も若い頃、自分の提案を頭ごなしに否定されたような思いを感じたことが多々ありました。その時は自分の考えが正しいと信じていて、すでにその時点で周りが見えない状態であったように思います。

その後、世の中の環境や生活スタイルの変化により、さまざまな新しい風潮が生まれては消え、常に新しいものが一般的にも求められるようになりました。もはや、就職してもその一社に固執することなく、自由に自分自身の求める道へ乗り換えることが、当たり前の社会環境になってきたわけです。

それ自体の良し悪しは、それぞれに事情や理由があるので、どうのこうのと言うつもりはありません。それは、時代時代の成熟度や個人の考え方によるものが大きいからです。

人は、同じ社会や組織の中で立ち居ふるまっていくと、慣れの中で自然に安定を求めていき、まるで違う経験の人や出来事に出合うと一瞬にして拒否感が生まれるものです。

僕はギャラリーをオープンしてからは、大抵の事は受け入れようとしています。それが良いことなのか悪いことなのかは、しばらくして分かるだろうとは思います。何しろ、今僕が行っていること自体、僕にとっては全て新しいことなのですからね。

さて、明日から今年初めての写真展が始ります。

今年もさまざまな人や作品との出会いがあるのでしょう。一度限りで終わってしまう出会いの中にも、永遠に記憶に残るような出会いがあると思っています。そんな出会いの一つ一つが、今の僕には未来の財産になるものと感じて止まないのです。

2010年1月9日土曜日

展示終了間近

中村ノブオ写真展の展示がほぼ終了しました。


今回の展示点数は41点と、過去の写真展よりも多めになっています。大判作品は1点のみですが、11×14、8×10インチサイズが、逆にスタンダードな写真作品として成立しているように思います。

もちろん、全て、モノクロ・ゼラチン・シルバー・プリントです。作品ひとつひとつの描写力、プリント品質は圧倒的で、写真本来の良さが余すことなく表現されています。会場の雰囲気や大きさを意に介さないような佇まいは、何か潔さすら感じさせます。

今回はそんな作品群を、2種類の会場設定で見ていただく予定です。前半はギャラリー内部を3つの部屋のような設定にし、それぞれの趣向に合わせた形で見ていただきます。後半は、広い空間の中で自由に見ていただけるような形にする予定です。

たぶん、好みは分かれると思っていますが、展示という表現手段の違いによる趣向は、自身の個展や発表の方法の参考にもなるものと思っています。また、昨今の作品の大型化はいたずらに見る者にインパクトを与えるような印象があり、時に息苦しささえ感じる場合もありますが、そうではなく、カメラアイとして日常の光景や人々が切り取られた情景を、そのサイズに近い形で表現された作品で再認識していただきたいと考えています。

2010年1月8日金曜日

アリス=紗良・オット

アリス=紗良・オット


先週TBS系列「情熱大陸」でピックアップされた弱冠21歳、新進気鋭の女性ピアニストです。名前から察せられるように、ドイツ人の父親と日本人の母親のもとに生まれ、現在もドイツを本拠地とし、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学の特別奨学生として学生生活も送っているようです。

公式サイトのプロフィールによると、4歳でピアノを始め、5歳の時に初めてのコンサートで入賞、その後ヨーロッパを中心に数々のコンクールでの優勝、数年前からは日本でもコンサートも行い、2008年にニューヨークデビューをしています。

その中でも、2008年にドイツ・グラモフォンからCDアルバムをリリースしたことは、特筆すべきことだと思います。ドイツ・グラモフォンと言えば、世界でもっとも長い歴史を持つクラシックのレコードレーベルで知られていますが、番組の中でも、彼女と契約することはひとつのギャンブルであったというような事を話していました。その言葉は、実力や実績がある程度あっても、その人物にプロとしての資質やオリジナリティー、何より人を魅了するような何かが伴わなければ契約は出来ないことを物語っています。

番組での彼女の表情は、同じ年頃の女性とは少し何かが違って見えました。それは威風堂々というか、音楽で生きていくことへの自信や覚悟から得られたものが、ごく自然に表れているような感じです。日常の生活の中で、妹と交わされる会話では普通の女性と同じだよと思えなくもないのですが、僕にはそれでも何かが違って見えます。

日本でも今後更に注目されていくことは、間違いないような気がします。今年はショパンの生誕200年に当たる年のようですし、メディアが取り上げる機会が多くなると思いますから、またどこかでクローズ・アップされるかもしれませんね。