2009年10月22日木曜日

まさに劇的

まさに劇的。

昨日から始まったパリーグCS初戦での幕切れ。
逆転サヨナラ満塁ホームランによる一瞬の終了。スコアが、9x-8、9の横に付くxが普通ではない勝負の意味を表しています。

9回表を終了して、誰もが楽天の勝利を確信したと思います。勝負事は下駄を履くまで分らないとよく言いますが、全くその通りです。同じ野球では、今年の夏の甲子園決勝、日本文理の9回2アウトからの反撃が記憶に新しいですが、今回は逆転してしまったのですから、見事としか言いようがありませんね。楽天にしてみればかなりのダメージですが、問題は今日でしょう。何と言ってもエース登板ですから。

少し前に、決して劇的ではなく。と言うお題の話を書きましたが、このような状況での演出なしの劇的さは必要なことだと思います。ファン心理からすると、よくぞそこまでと何もそこまでと立場の違いにより感じ方が両極端になってしまいます。でも、そんな試合やプレーを見たくて、球場に足を運んだり、テレビで観戦するわけですから、そう言う意味では初戦からドラマチックな幕開きだったことが、今後何が起こるか分からないぞと言う期待を抱かせます。

昨日のKスタ宮城でのパブリック・ビュー観戦も2200人だったと聞きます。帰り道は寒さが気温以上に感じられたでしょうが、今夜も頑張って応援して下さい。


話は全然変わりますが、一昨日、劇団グリングの第18回公演のDMが届きました。

公演名の中に「活動休止」の文字があります。HPにも詳細は載っていませんでしたが、しばらく劇団としての活動を休止するようです。

グリングは僕の好きな劇団の一つで、毎回のように観に行っていました。主宰の劇作・演出家の青木豪さんには、他の公演を観に行った際も何回となく見かけていたので、とても寂しい感じがします。首都圏近郊の方は、この機会を逃すとしばらくは観られませんので是非観に行ってください。

ここのDMはいつもマット調のハガキに、公演を象徴するような写真を載せてあり、とても気に入っていたのですが、当分は目にすることが出来ないですね。

以前、テレビのインタビューで、「何気ない普通の人の生活やその時々に話す言葉の裏には、全く持って大きなドラマが隠されているかもしれません。そんな芝居なら僕にも作れるかもしれないと思って劇作を始めました。」と青木さんが話していました。

生きていくことそのものが、むしろ劇的なことであると言っているようで、僕自身そんな世界に惹かれていたのかもしれません。なので、活動休止はとても残念です。

2009年10月21日水曜日

「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」

今週の24日から11月8日まで、千葉、幕張メッセで第41回東京モーターショー2009が開かれます。

ニュースリリースによると今回のショーテーマは、”「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」(「和文」)(“Fun Driving for Us, Eco Driving for Earth”)(英文)としました。環境と共生する中でクルマの楽しさを追及する「楽しさと環境(Fun & Eco)」の考え方をシンプルに表現し、クルマに乗る喜びも、環境に配慮することも、どちらも「楽しもう」とポジティブに捉え、「楽しさ」と「環境」の両立を強く訴えているものにしています。「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」”とあります。

エコカーと称されるハイブリットや電気自動車の実用化、政府支援などが一般の消費者にも受け入れられてますので、少しベタな感じはしますが、当然と言えば当然ですね。そんな中、バイクやスクーターにも電気や燃料電池を使用し、エコを意識したモデルが出展されます。

ホンダは「スーパーカブ」の電動モデル「EV-カブ」、ヤマハは来年発売を目標としている「EC-03」とコンセプトモデルとして未来的なデザインの「EC-f」「EC-fs」の2種を出展しています。一方、スズキは、燃料電池搭載のビッグスクーター「バーグマン・フューエル・セル・スクーター」で、航続距離を約350キロと想定し、中大型バイクに焦点を当てているようです。

これらのバイクに特徴的な点は、エンジンといった吸排気に関わる部分が無い為、軽量化とデザインの自由度が広がることが挙げられます。実際、軽量アルミフレームを使用していたり、「EC-f」「EC-fs」についてはかなり独創的なデザインですね。

これは、北里大学名誉教授で医学博士の田口 文章氏へのインタビュー記事の一節です。

“ある人が、これまでの人類のエネルギーの推移をみてみると、薪、石炭、石油、天然ガスへと移り変わってきた。次第に炭酸ガスを出さない方向に動いているというのです。なるほど化学式で見てみると、薪は水素原子1個に対して炭素原子が10個。これに対して石炭は水素1個に炭素が2個、天然ガスになると水素4個に炭素1個と表現できます。となると、次のエネルギー源は炭素のないものになるはずだ。それがウランと水素だというんです。元素の中で一番重いウランと一番軽い水素がこれからの主役というわけですが、ウランは廃棄物処理の問題がありますから、水素が人類のエネルギーとして最重要になると私も思いますね。水素にはロマンを感じます。”

田口 文章氏は、パンダの糞とシロアリから分離した有用菌で、 水素を取り出し、生ゴミを分離処理する研究で、今年イグ・ノーベル賞を受賞した方です。将来的に、この生ゴミから水素ガスを取り出す技術が実用化し、システム化されれば、当然のように自動車やバイクの燃料にもなるわけです。

まぁ、世界的規模でのエコ化の情勢を後押しにして、各社とも技術開発に臨むわけですが、一企業の利益追求だけのエゴにはなって欲しくないと思っています。

2009年10月20日火曜日

オリオン座流星群

オリオン座流星群が、19日夜から23日未明にピークを迎えます。

今年は月明かりがないため条件が良く、1時間あたり最大で50個以上の流星が、東の夜空に浮かぶオリオン座近くの場所(放射点)を起点に広い範囲に現れ、肉眼で観測出来るとのことです。

国立天文台のHPを見ると詳しい情報が見られます。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/#Section1

見える時間帯が、22時から深夜0時を回ってからなので、一人で表に出るには少し寒いですね。(もちろん一人じゃない方が良いですが)ベランダ等で暖かい格好をして見ることが出来ればベストです。今年のオリオン座流星群では、流星群が活動し始める22時よりも前に月は沈むので、月明かりの影響を全く受けずに見ることができる絶好の条件と言えます。

さて、流星群と言えば、僕は松任谷由美さんの「ジャコビニ彗星の日」を思い出します。
確か、1979年にリリースされたアルバム「悲しいほどお天気」に入っていたと思います。
哀しく切ない詩が、揺れ動く女性の気持ちを表現していて、秋という季節がとても感じられる曲です。

夜のFMからニュースを流しながら
部屋の明かり消して 窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラス じっとのぞいたけど
月をすべる雲と 柿の木揺れてただけ
'72年 10月 9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとり ぼんやり待った
遠くよこぎる流星群

それはただどうでもいいことだったのに
空に近い場所へ出かけてゆきたかった
いつか手をひかれて川原で見た花火
夢は つかの間だと 自分にいい聞かせて
シベリアからも見えなかったよと
翌朝 弟が新聞ひろげ つぶやく
淋しくなれば また来るかしら
光る尾をひく流星群

   (「悲しいほどお天気」1979年)より(LP:TOJT-10641)(CD:TOCT-10641)

http://www.youtube.com/watch?v=8CynJ53RukE

そう言えば、この頃からCDが発売され始めたのかな。

2009年10月19日月曜日

羽根のない扇風機

「Dyson Air Multiplier」

今月ダイソン社から発表があった羽根のない扇風機ですね。羽根がないのに「扇風」とは変ですが、いままでに無かった製品ですので、日本語ではそう紹介されています。

ダイソン社と言えば、強力な掃除機で有名で、家電らしからぬ形と色遣いの面白さがよそとはちょっと違うことをアピールしていたように感じていました。実際、掃除機のパワーは強力で、毎日polkaの抜け毛に困っていた僕も掃除機購入の際には検討対象のひとつでした。

今朝のテレビで実際に動いている姿を見ましたが、比較的コンパクトなサイズで、何も無い穴から噴出される風の様子は、とても近未来的(表現が古い!)な印象がしました。2001年宇宙の旅の一コマにでも登場していたら面白かったのに、とも思いました。

羽根がないのに風がくるのはなぜかと言うことでYouTubeなどに動画がアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=gChp0Cy33eY

理屈は、下部部分に静圧の高いファンがあってリング状の部分に空気を送り込み、リング状の部分にはノズルが付いてベンチュリのようになっていて、周囲の空気を巻き込むように風を送るようです。

原理は分かっても、それを商品化するには相当な発想の転換が必要であったり、安全性も含め検討しなければなりませんから、4年の開発期間は決して長くはないと思います。値段は少々張りますが、ちょっと変わったインテリアの範疇かなと感じました。

販売は当面、ネット上とインテリアショップになるとのことで、家電量販店に並ぶのは来春からですので、商品としての位置づけもうなずけます。

日本の夏は蒸し暑く、エアコン無しでは寝苦しいと言われますが、仙台での久々の夏はエアコン無しで過ごせました。首都圏以北で売れるかもしれませんね。

それにしても、こんなしゃれっ気一杯の商品を見ていると、何故か心がうきうきしてくるのは僕だけでしょうか。

2009年10月18日日曜日

高橋和海写真展 無事終了です。

昨日で、高橋和海写真展「Moonscape」が無事終了しました。

集客数にはまだまだ満足していませんが、訪れて下さったお客様には写真展自体は満足されたものだったと思っています。

今回の特徴的なことは、自分では写真を撮らないけれども、案内状のイメージがきれいで、実物を見たくなり来られた方や学生の方にも来て頂けるようになったことです。写真を撮られないお客様には、イメージの美しさやその世界観をまるで絵を見るような感覚で捉えている様子が感じられました。実際、話をさせてもらうと、「写真じゃないようですね」といった言葉を何度も聞きました。写真を撮られている方の多くは、プリント品質と美しい色彩に感心されていたように思います。

アンケートにあった感想の一部がこちらです。

○一番奥の大きな写真、絵画のようで不思議でした。でも見入ってしまいます。しずかな写真たちですね。楽しませていただきました。

○引力がテーマとのこと。まさに引き込まれる写真たちでした。静止画の中に時間の流れをこんなに感じさせられることってあんまりないと思う。美しいです。とにかく。画を褒める時、「写真みたい」というのに写真を褒める時は「まるで画のよう」と言うのはなぜだろうと思いつつ(笑)本当に画のようでした。


今回は、暗めの照明と対比するような明るめの照明をカーテンで仕切ったり、大判作品の展示に少し趣向があり、いわゆるギャラリースペースでの展示状況と違っていましたが、大きな苦言も無く、楽しんでいただけたのではないでしょうか。

意見は分かれると思いますが、単純に作品展示の場としてだけのギャラリーではなく、作品個々が本来持っている良さを効果的にそして見ているお客様がいろいろな観点から見られるような演出は、今後も行っていこうと思っています。

今回初めて来て下さった方、横木安良夫写真展に引き続き再廊して下さった方には本当に感謝している次第です。引き続き、もっと多くの方に来て頂けるよう頑張って行きますので、これからも宜しくお願い致します。

2009年10月17日土曜日

「My Funny Valentine」

あるブログから思いだした一曲。

「My Funny Valentine」

誰もが一度は聞いたことがあるジャズのスタンダードです。ジャズ畑を問わず、数多くのシンガーに歌われていますが、僕が思い出したのはチェット・ベイカーが歌ったものです。

チェット・ベイカーは、アメリカのジャズトランペット奏者ですが、むしろボーカル・スタイルに特徴があり、中性的で囁くような歌い方で人気を博しました。

1950年代前半が彼の最盛期でした。その後は、彼自身の精神的な不安定さもあり、ドラッグに関わるトラブルに見舞われ、1970年代初頭までは表舞台からすっかり姿を消してしまい、生活保護を受けていたとさえ言われています。

1973年にディジー・ガレスビーの助けを受け、復活を果たし、日本でも2度ライブを行っています。そして、2度目の来日の翌年、アムステルダムのホテルの2階から謎の転落死をしてしまいます。58年という短い時間に、自己破滅を繰り返し、進んで不幸に走って行ったように思えてしかたありません。

後に、写真家のブルース・ウェバー(カルバン・クラインの広告写真等で著名なファッション・フォトグラファー)が、チェット・ベイカーのドキュメント映画「Let’s Get Lost」を撮り、アカデミーを受賞しています。残念ながら、日本でのDVD化はされていないこともあり、僕は未見です。タイトルの「Let’s Get Lost」は「ここから、逃げ出そうぜ」みたいな意味で、ブルース自身とても好きな曲だったそうです。

YouTubeにもいくつかアップされていましたが、この2つを聞き比べてみて下さい。
1つ目は、映像はありませんが、発売時のものです。
http://www.youtube.com/watch?v=jvXywhJpOKs

2つ目が、日本公演でのライブです。
http://www.youtube.com/watch?v=UOEIQKczRPY

ときどき、時間の流れは否応なく残酷に感じられることがありますが、僕は、枯れたような、そして一つ一つの音を慈しむようにトランペットを吹いている晩年の姿に心打たれます。

最後に、ブルース・ウェバーの「Let’s Get Lost」を少しだけ…。
http://www.youtube.com/watch?v=l5H2bzk2zcc

2009年10月16日金曜日

ブログ

ギャラリーをオープンしてから約5か月になります。

このブログもほぼ同時期に始めました。これまで日記の類も含めて毎日何かを書きつづる習慣がない僕がよく続いていると思います。内容は相変わらずで、文章もちっとも上達していませんが、改めて気がついたことがあります。

一見義務化されたことのように思えることも、けっしてそれだけではない何かを見つけ出せれば、続けることが出来るということです。

以前の仕事でも就業後に、一日の業務報告なるものをメールで出すようになっていたのですが、僕は出さないことが多く、良く怒られていました。その時は、めんどくさかったことが一番でしたが、やはり僕の中にやらされ感があり、それ自体が無意味のように思えたからかもしれません。

誰しも生活するために仕事をするわけですが、多くの人は本当に自分が望んだ仕事をしているとは限りません。それでも、その中に自分の居場所ややりがいを見い出して、毎日コツコツと頑張っているのです。幸いなことに僕は学生の頃から思っていた「物作り」の世界で仕事をしてきました。毎日の仕事の中で、かけがいのない人と出会い、海外での仕事もさせてもらい、充分に楽しくさせてもらったように思います。

初めて就職した会社には当時は本当にごくごく少数でしたが、会社のために仕事をする必要はないよ、自分のためにしなさいとか会社以外の人と多く付き合いを持ちなさいとか言ってくれる人がいて、その言葉を実践してきたように思います。そして、かなり管理外でわがままな仕事をしていたにも関わらず、容認してくれていたように、今は思えます。

そんな僕がまるで畑違いの仕事をするようになり、ここでもさまざまな人たちの支えもあって、新鮮な出会いと刺激的な毎日を送っています。

そして、その時々で感じたことや日々の何気ない情景とかを思い起こしながら、毎朝パソコンの前で、自分自身を確認するように書いています。

そんなわけで、しばらくは小学生のような文章で、ブログを続けていこうと思っています。読んで下さっている方々は、じき人並みの文章が書けるようになるかもしれませんので、しばらくはガマンして下さい。(いつのことやら!?)