2009年6月18日木曜日

陰翳礼讃

僕の住んでいる部屋は、おそらく一般家庭の部屋と比較すると非常に暗いと思います。これは暗い雰囲気、気分になるということではなく、単純に暗いのです。ギャラリーから夜戻ると、先ずテレビを付けます。それから一灯のスポットライトを付けるだけです。他に照明がないわけでは無いのですが、大抵はそんな感じです。

多分大概の人には眼を悪くするとか言われそうですが、その方が落ち着くのでそうしているだけです。最近は間接照明も一般家庭に入りだし、明るさ一辺倒の状況から変わってきていると思いますが、やはり明るい部屋を好む人の方が多いと思います。僕も以前はそうでしたが、東京で最後に引っ越した時からそうなってしまいました。

谷崎潤一郎の随筆に”陰翳礼讃”と言うものがあります。とても有名な本なので、ご存じの方もいらっしゃると思います。その本の一節にこのようなことが載っています。

 「美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った」

谷崎潤一郎は、薄暗くて、清潔で、静かなところに日本の陰翳の美はあらわれると言い、事実、昔の日本家屋はそうであったのではないかと思います。生活環境も変わり、そうもいかなくなったのでしょうね。それでもこの本は照明・建築関係の方には、今でもかなりの確率で読まれているようです。

又、”陰翳礼讃”と言えば、杉本博司さんの作品にもあります。闇の中の一本の和蝋燭が燃え尽きるまでを長時間露光して撮影されたもので、光の帯と影だけを写し撮ったものです。実はこのオリジナル(だと思いますが)を観たのは、”春琴”という芝居が行われた世田谷パブリックシアターのロビーででした。
上演された”春琴”は谷崎潤一郎の”春琴抄”と”陰翳礼讃”をモチーフにして、イギリス人演出家のサイモン・マクバーニーが日本の役者を使い制作されたものです。2008年に初演、その後イギリス公演を経て、2009年3月に日本で再演され、大変好評を博した作品です。

日本の大御所である杉本さんとイギリスの気鋭の若手演出家とが、同じテーマでコラボしているようでとても興味深かったし、まさか芝居の会場で杉本さんの作品が観られるとは思ってもなかったので、何か得をした気分で帰ったのを覚えています。

もちろん芝居も非常に面白く、2008年では5本の指に入るものだったと思います。


そんな理由で、部屋を暗くしているわけではないのですが、しばらくはこの状態は続いていくと思います。


そう言えば、U2のニューアルバム”No Line On The Horizon”のジャケットに、杉本さんの”海景”が使用されていましたね。

2009年6月17日水曜日

傘がない

昨夜の関東地方でのゲリラ雷雨はすごかったですね。ニュースで流れる渋谷の様子は、まさにバケツをひっくり返したような状態でした。仙台は梅雨らしいシトシトとした雨でしたが、それでも傘を差して歩いているのはちょっと鬱陶しいです。

僕が外出するときは大抵両手が使えるようにとショルダーやトートバッグを持ち歩いていますが、雨が降ると傘で片手がふさがってしまい、それだけでテンションが下がってしまいます。だから、新宿とか地下街がある場所に出かけた時は、出来るだけ傘を使わないように目的地まで行くことを考えていました。もちろん傘は折りたたみで、カバンにすっぽり収まってしまうタイプです。

最近の折りたたみ傘は非常にコンパクトで邪魔にならないので、時々カバンに入れたつもりで出かけ、いざ雨が降ってきた時に入っていないこともよくありました。そのたびに駅やコンビニでビニール傘を買ってしまい、いつしか玄関の傘立ては一杯になってしまいました。それでも引越しの時に2、3本を残して処分したので、今はすっきりしていますが、たぶんまた増えていくような気がします。

だいぶ前振りが長くなってしまいましたが、傘で思い出すのが、井上陽水さんのファーストアルバム”断絶”に収録された”傘がない”と言う曲です。たしか、1972年ころに初めて聞いたと思います。僕はまだ中学生で、歌詞の意味は良く判りませんでしたが、それほど早熟ではなかった僕でもとても切ない気持になったのは覚えています。

その頃はフォーク・ブームでした。しかもほとんどのミュージシャンはテレビには出演しなかったので、彼らの生の声を聞く手段は主にラジオでした。特に地方に住む若い人たちはそうだったのではないでしょうか。
当時のフォークソングの多くはメッセージ性の強いものでした。”傘がない”もやはりそうだったと思います。歌詞は、若者の自殺のニュースから始まり、愛する彼女に会いに行きたいけど傘がない、それが今の自分にとって巷で流れる自殺のニュースよりも大事なことだという、一見利己主義でセンチメンタルな印象があります。

しかし、その時の社会状況を考えるとそれだけの歌とは思えません。急激な高度経済成長により生活の質が上がり、同時に周りは競争社会へと変貌し、人々の中にも徐々に不公平さが感じられるようになりました。そして、東大安田講堂事件を頂点に、若者の社会に対する考え方に変化が現れるのです。それが、”シラケ”であり、自身の関心も”社会”から”自分”へと向けられるようになったのです。

僕は“傘がない”と言う曲は、歌詞に使われるあいまいな言葉をメタファーとすることで、時代の風潮に対してのアンチテーゼとして発表されたのではないかと思う一方、単純に愛する人に対してのセンチメンタルな心情を歌った曲だとしても良いと思っています。


とらえ方は人それぞれです。

傘がなくても、雨に濡れても、愛する彼女に会いに行けば良いのです。
今がそんな時代だと思うのは、僕だけでしょうか。

2009年6月16日火曜日

イッ才ガッ彩

昨日、富士フィルムフォトサロン仙台で開かれている日本デザイナー芸術学院仙台校写真展”イッ才ガッ彩”を観に行きました。日本デザイナー芸術学院仙台校は、東北では唯一、写真学科のある専門学校です。岩手・宮城内陸地震から1年を迎えたのに合わせ、被災地の復興を願うために企画された立体写真と一緒に、専門生による”色”をテーマにした作品とそれぞれのフリー作品が合わせて約20点展示されていました。

一口に”色”と言っても、とらえ方は人それぞれです。色はその彩度や明度が重なり合うことで無限に拡がります。また、撮る側の視点や発想によって、一つとして同じ色がイメージ出来ないのも難しい所ですね。

画家であるゴッホは、自分は見えるものしか描くことが出来ないと話していたと言います。つまり、そこに描かれている色彩もゴッホの眼に映ったものであるという事です。肖像画に描かれた背景のブルーであるとか、ゴッホには実際そう見えていたものを、他人も同じように感じるかというとそうではないのです。

又、このようなテーマのある写真展は、ある意味商業写真での制作と似ているように思えます。企画を立てる人、構成を考える人、実際に写真として撮る人、セレクションする人などいろいろな人との関わりから、きちんとしたイメージを作っていきます。それは個人の表現というより、むしろ共同作業として成立します。だから、他者の意見をちゃんとくみ取り、それでいて自分ともしっかり向き合っていくことが必要となってくるのです。

プロの作家の条件のひとつとして、技術やセンスだけではなく、相手を受け入れる懐の広さ、人柄の良さがあると、僕は思っています。また、若い時期に良くある感性の押しつけのような作品を個人的にはあまり好みません。そういう意味では、個々の優しさが感じられたとても良い写真展だったと思います。
フリーの作品もありますので、また違った個性が観られます。

残念ながら、本日12日が最終日です。
お近くの方は、若い感性で”色”という非常に難しい命題に取り組んだ作品をぜひご覧になって下さい。

2009年6月14日日曜日

あの日の彼、あの日の彼女。

横木安良夫写真集 “あの日の彼、あの日の彼女。1967-1975”の巻末に、直木賞作家角田光代さんのショートストーリーが掲載されています。題名が、”あの日の彼 あの日の彼女” となっています。1967-1975にあった出来事をモチーフにしていて、年齢の違う5人の登場人物それぞれの想いを、青春グラフィティーのように描かれています。

モチーフになっているのは、リカちゃん人形(具体的には載っていないですが)、アポロ11号月面歩行、初めて日本に来たパンダであったりして、登場人物の感情には何故かとても共感を覚えてしまいます。
特にノストラダムス大予言の1999年地球滅亡の年に32歳になる少年とそのクラスメートとの会話の中で、世界が終わることがなんとなく想像できても、自分が32歳になることが信じられないと言うくだりがありますが、そのことはとても理解できます。僕自身と年齢が近い少年であったことと、その少年が帰宅後、そんな事も忘れ、野球をしに飛び出して行くあたりはそのままだったような気がします。

又、写真集に掲載されている作品は、写し出された人々の”あの日”ですが、それらを今見る人は、時代や場所を超越して、それぞれの”あの日”を想い起こすことが出来ると思います。、そして、これらのショートストーリーがそのエッセンスにもなっています。

最後は宣伝になってしまいますが、写真と文章とを混在させた本は、色々と出版されています。
それでも、その程よさやトータルでの完成度という点で、この写真集は秀逸だと思います。
残念ながら、現在はほとんど入手出来なくなっています。
特装版は現在当ギャラリーでのみ販売しています。
是非、この機会にお買い求め下さい。

2009年6月13日土曜日

井上ひさしさんと言う人

今日の仙台は昼近くから一時雨が降り出し、半袖では少し肌寒い感じです。現在は止んで陽が差していますが、天気予報ではまた降るようです。梅雨なんですね。僕は仙台で高校まで過ごし、大学は雪深い山形で暮らしていたのですが、東京での28年の間にすっかり寒さには弱い体質になってしまいました。ギャラリーが半地下にあることをかつて何度か書いていますが、外の気温と比べると2~3℃程度低く感じます。夏に向けては問題ないですが、冬場は寒い期間が長いかなと思っています。

話は変わりますが、2月初め公共手続きに区役所に行った際、雪交じりの通り向いに仙台文学館の垂れ幕を見ました。仙台文学館は初代館長を井上ひさしさんが務め、今年で10周年を迎えるそうです。その記念として”井上ひさし展 吉里吉里人国再発見”と言う企画展を行うと記されていました。(3/28~7/5)

井上さんは僕の好きな作家の一人で、ここ数年は芝居で触れていました。それにもかかわらず、その垂れ幕を見るまでは、井上さんが仙台ゆかりの人であることをすっかり忘れていました。
井上さんご自身はその言動によりさまざまに解釈され、世の人も好き嫌いがはっきりしているのではないかと思いますが、僕は単純に、作家として40年に渡り色々な話題作を発表し続けていることに感心してしまいます。しかもその完成度の高さは、現在の日本の劇作家の中でも第一級であると思います。

井上さんの戯曲の中にはよく伝評物がありますが、それを完成させるための膨大な資料とその資料に付けられた付箋の多さに驚かされたことがあります。その為か、筆の進みは極めて遅く、自ら”遅筆堂”とのペンネームを冠しています。公演延期になることもたびたびですが、井上さん自身は悪びれることなく、役者もそんなものだと理解を示しているのも面白い所です。

2007年公演”ロマンス”(これも最終稿が公演1週間程度前でした)の中で主人公であるチェーホフに、「人はもともと悲しみを持って生まれ落ちる。でもその内側に笑いは備わっていない。だから自分の手で作り出し、分け合い、持ち合うしかありません」と言わせています。これは、井上さん自身が小説や戯曲を創作する上での基本的な考え方だと思います。また、NHK BSで放映された100年インタビューでも、笑いにより人と人とのむき出しの衝突が避けられ、そして余裕が生まれ、結果として生活の質が良くなるようにしたいと話されていたと記憶しています。

あらゆる表現者はその創造物に対して明確なビジョンを持って発表していくものだと僕は思っています。そしてそれは、いわゆるアーティストと呼ばれている人だけではなく、いつも身近にいる人たちであっても良いと思うのです。

何か今夜は、まだ引越し荷物に隠されたDVDを掘り起こして、井上さんの芝居を観ようかと思っている次第です。

2009年6月12日金曜日

志賀理江子さん

2008年木村伊兵衛賞受賞の志賀理江子さんが、宮城県名取市北釜地区にアトリエを構えたとの記事が6/10付の河北新報に掲載されました。名取市は宮城県南部に位置し、仙台とは南東で隣接し、近くには海岸もあり自然にも恵まれています。また、仙台空港もあり、2年前の空港線の開業により仙台市内へのアクセスは非常に良くなりました。

志賀さんと仙台との関わりは、2006年に仙台メディアテークで企画・開催された"Re: search オーストラリアと日本のアート・コラボレーション"展の出品に当たり、仙台に滞在し、地元の方に質問を行いながら撮影を行った時からだと言います。その時の作品は、木村伊兵衛賞受賞作でもある写真集"CANARYカナリア"にも入っています。

志賀さんはこれまでイギリスを拠点とし作家活動をしてきたこともあり、オリジナルで作品を観る機会が僕自身ほとんどありませんでした。受賞作である"CANARY"と"Lilly"と言う2点の写真集での情報がほぼ初めての出会いだったと思います。木村伊兵衛賞後に、新宿コニカ・ミノルタプラザでオリジナルプリントを観た時に、それらは写真表現の枠に捉われず、むしろ現代アートに近い感覚を覚えました。プリントに現われている表現手段は、明らかに再編集されたものであったのですが、その手法はデジタルでのそれとも違うと思いました。
その後、東京オペラシティアートギャラリーでの"トレース・エレメンツ"展、東京都写真美術館での"オン・ユア・ボディ"展を続けて観た時もその印象は変わりませんでした。

HPで経歴を見ると、東京工芸大学を中退してロンドンに渡り、ロンドンチェルシー美術大学に入学し、その後もロンドンを拠点とし活動をしています。その点も考慮すると、作品制作時点での発想が国内の若手作家とは違うのかもしれません。そしてそのことで、われわれ観る側は、作品から受ける世界観を、一つの統一されたイメージとして理解出来るのだと思います。
僕自身は、志賀さんの作品を通して、生と死、瞬間と永遠、過去と未来と言った相反する言葉を、同次元の空間と現実の中に具現化されたイメージとして感じます。

いずれにせよ、このように才能豊かな若い写真作家(まだ28歳とのこと)が当地でアトリエを構え、作品制作を行うことは非常に嬉しいことです。この次は、宮城を始め東北各地で撮影された作品をまとめた個展を是非観たいと思います。

2009年6月11日木曜日

溢れる情報

昨日からギャラリーのある10階建てのビルに、モバイルWiMAXを利用したUQコミュニケーションズ基地局設置工事が始まりました。2.5GHz帯域の認可が下りたのが2007年の暮れですから、約1年半の準備期間を終え、来月から正式サービスを行う為に、現在盛んに工事が行われているようです。一般的に、ワイヤレスブロードバンドと言われているものです。

現行のサービスと大きく違う点は、その伝送速度です。現在の最高伝送速度は規格上限で28.0Mbpsですが、モバイルWiMAXは75Mbpsとかなり上回っています。簡単に言えば、基地局があればネット環境を意識せず、大容量の情報を受発信出来ることになります。現在携帯電話でネットワークへいつでも繋ぐことは出来ますが、通信速度の問題で利用できるコンテンツやサービスには制限があります。これを解消するのが、この規格とLTEと言う新しい規格だと言われています。
野村総研の予測では、2010~2011年度が黎明期で、普及期は2012年度以降としています。

無線で100Mbps近い伝送速度が可能になると、そのアプリケーションやコンテンツが大きく変わっていくでしょうね。子供の運動会とかの映像を高画質に、しかも遠隔地へライブ中継することも可能になりますから。又、この12年で世の中に出ている情報量は、637倍になっていると言われています。(総務省データ)僕たちは、溢れる情報の波の中にのまれずに、それを取捨選択する能力がますます必要となって来るでしょう。そして、溢れる情報と共に溢れる感動も欲しいものです。

それにしても、上の画像の足場は職人さんが、2tonトラック一杯に積まれた部品をロープで上げながらひとつずつ組んでいました。何か、とてもアナログな場面で、妙に感心してしまいました。


それと、今日からカレンダーをUNIQLO CALENDARに変えました。画像は、都市部の風景がミニチュア化され、しかも動画になっています。2006年木村伊兵衛賞を受賞した本城直季の"small planet"のようですが、動いている分新しい感覚です。又、BGMでは、サキソフォン奏者清水靖晃がフューチャーされています。とてもクールです。カレンダー画像をクリックすると聴けるはずです。