2010年5月31日月曜日

吉野和彦写真展、無事終了です。

吉野和彦写真展が無事終了しました。うちのような小さなギャラリーは、天候により大きく集客が左右されます。僕もそうですが、雨降りや寒い日が続くと、外に出るのが億劫になってしまいます。それでも、せんだいアート散歩イベント中でもあり、これまでとほぼ変わらぬお客さんがいらして下さいました。


初めてギャラリーの存在を知り、恐る恐る扉を開けて下さった方々には非常に感謝しています。これまでに感じたことの無い写真世界に触れていただけだのではないかと思います。吉野和彦の描く作品は、何か分かりづらい印象がありますが、実は意外に人の営みにおけるもっとも基本的な部分に触れているので、純粋にその視点や良さに見入られた方が多かったように思います。

本当に有難うございました。

さて、今日からは次回の公募写真展”Sha-gaku”開催準備にかかります。仙台を始め、東北圏のアマチュア写真家によるこの企画展は、これまでには無い展示会だと考えています。

是非とも直に見ていただき、自身も購入・支援という形で参加されることを願っています。

7月にはギャラリー初の在仙女性作家 木戸孝子写真展を開きます。取りあえず、今は”Sha-gaku”に集中しようと思っていますが、並行して進めなければならない部分はありますので、混乱せずに楽しみながら行いたいと思います。

先ずは、自分が楽しめなければ、見る人は楽しめるはずがありませんから。

2010年5月30日日曜日

日々過ぎて行く中で。

吉野和彦写真展は今日が最終日です。5月も明日で終わります。何か、あれよあれよと日々過ぎて行ってしまうような感じですが、次回の公募写真展”Sha-gaku”開催にもあまり時間が無いので、明日以降提示するプレートなんかをぼちぼちと作っていく予定です。


しかも今回は、僕ひとりでの作業というより、参加者それぞれとの共同作業になりますから、不安でもあり楽しみでもあります。今までは、作品を前にしながら、全て自分自身の考えで展示を行っていました。出来るだけ自己満足にならないように気を付けながら、直感に頼る部分が多かったように思います。

Sha-gakuは、表現も展示方法も自由であることが前提なので、僕が入り込む余地はあまり無いし、むしろ参加者それぞれの考えを前面に出してもらえれば良いのです。作業自体、経験が無い方には一緒に行う事で、ある意味ワークショップ的な感じで行えるとお互いに楽しめるんじゃないかと思っています。

絶対に楽しい写真展になるような予感はするのですが、これも見に来て下さるお客さんがいなければ始まりません。言葉に語弊があるとは思いますが、いわゆるサークル的な部分は無いと思います。互いに比較されることを承知で、参加してくれていますからね。

だから、来られるお客さんにはリベラルな眼で見てほしいと思いますし、是非作品を購入して欲しいと思っています。”Sha-gaku”は単に作品発表を見てもらうだけの場では無く、お客さんが参加出来る場でもあるわけです。

より多くの人に、参加者の表現を素直に感じて欲しいと願っています。

2010年5月29日土曜日

松本隆という人

今週水曜の夜に、NHK総合で放映された特集シリーズ「音楽のチカラ」を偶然見ました。少し遅く自室へ戻り、テレビをつけたところ、松本隆さんの姿が映し出されていたので、そのまま見入ってしまいました。松本さんは多くの方に知られている作詞家です。40年の作詞家活動の中で代表曲も数え切れないほどありますし、すでに巨匠の域ですね。


画面から流れ出る彼のぼそぼそと話す姿を見ていると、全く偉ぶったところも無く、大変な巨匠とは思わせない所があります。むしろ、何か昔からいる職人さんのようなイメージが、僕には感じられます。職業的に作詞家として活躍されていたのですから、常に一般的に受け入れられる作品を作り続けることを求められていたわけです。それ自体、作家として非常に大変なことだと思いますが、何故かその自然体でやんわりとした姿勢には、少し拍子抜けしてしまう感もありました。

それでも、見ていてとても感じたことは、長年の経験や積み重ねが無駄な部分をそぎ落とし、なんか良い年の取り方をしているなぁということでした。まぁ、今も現役で創作をしていることが、その源なんでしょうけど。

「はっぴいえんど」の頃の映像が見たくなって、YouTubeなんかで色々と探していたのですが、結局この映像がとてもよかったので、載せておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=lBHJHoVNDEQ
 
僕もいいオヤジですが、本当にいい大人ってなんだろうと、考えることがあります。僕たちの年代の人間が何かを残し、今の若い世代により良い環境(文字通りの自然環境といったことでは無く)を作ってあげなければとの思いは、大それたことではなく身近な部分として考えています。


松本さんのドラムを叩いている姿を見ていると、ますますそんなことを感じてしまうのです。

2010年5月28日金曜日

暖かな陽の光のように。

日差しが部屋に差し込んでくる朝は、それだけで気持ちの良いものです。気温は低いものの、それだけでとても穏やかな心持ちになります。天気予報は一日中曇り空になっていますが、今は雲の切れ間から暖かい陽の光が顔を出しています。


僕たちは普段そこにあるものに、それほどの関心を持って過ごしていないことが多いです。そこにあることが当然であるように感じ、実はそこにあることすら忘れている場合があるように思います。逆に、非日常的な出来事や光景、物については、敏感に反応するものです。それがこと生活に直接関連してくる場合は、尚更ですね。

ギャラリーや美術館、劇場といったものは、非日常的な空間です。大抵の人はそのような空間に日常性を求めていませんし、そんな場所にはおそらくは興味も示さないでしょう。その為に、さまざまな趣向や内容で普段目にすることではない何かを目の前に提示し、集まってもらうようにするわけです。

それでは、何故そんな生活と関連してこない非日常的なものを求めて、ギャラリーや美術館、劇場に人々が集うのかと言うと、普段の生活では得ることが出来ない感動や喜び、あるいは恐れや悲しみといった感情の揺れを直に体感したいがためじゃないかと、僕は思うのです。しかも、感情というものは、現在の自分自身の考えや外部環境とかと密接な繋がりもあるので、体感するレベルはその時々で違っていきます。そんな意味では、自身の現在の立ち位置なんかを思わず確認できる場所でもあると思います。

実は発表する側も同じことで、創造し、制作する過程は非常に孤独なもので、ともすれば自分自身を見失いがちになることも多くあります。だからこそ、発表、解放する機会が必要なのです(そこで、自分を見直すというか)。

そう考えると、非日常性は常に日常に隠れているだけで、普段見えていないだけなのかもしれません。なので、不必要なものであるとか、無駄であるとか、価値の無いものでは決してありません。それは、普段気にも留めていない陽の光に、時として優しさや安らぎを感じてしまうことと一緒だと、僕は思うのです。

2010年5月27日木曜日

作品を発表すると言うこと。

昨日午前中に、7月開催予定の”Story vol.1”企画 木戸孝子写真展"The Ordinary Unseen"の案内状が出来上がって来ました。それがこちらのイメージです。

オフセット印刷時の色再現は難しいこともあり、実物はこのイメージよりも若干赤が被っていますが、とてもシンプルな感じになっています。打ち合わせも兼ねて来ていただいた木戸さんも満足された様子でしたので、一安心といったところです。


打合せはいつもギャラリーで行っているので、毎回足を運んでいただいていて、ホント申し訳ないなと思いながら、ついつい甘えてしまっています。打合せは時間の長さが感じられない程、とてもスムーズに進められていきます。それはおそらく、木戸さん自身の人柄の良さと物事に対する公平さ、そして常に前向きな姿勢によるものだといつも感じています。

結構話が脱線することもあり、僕もグチのような事を話したりするのですが、自分の意見を持って話して下さるので、それではいけないのは分かっていても、何だかそんな話だけでも良いような気分になってきてしまいます。まぁ、楽しみながら、順調に進んでいるところです。

昨日もそんな話の中で、webでの作品発表について少し話が出たのですが、僕自身はそれ自体を否定はしません。何より、手軽に楽に発表出来る環境が現在あるわけですから、それを利用するに越してことはないですから。でも、もし本当に自己表現の形として作品発表をするのなら、やはりここにあるものとして、展示・発表しなければ自己満足に過ぎないような気がします。

情報発信の場としてwebを活用することは、現在では大切でかつ不可欠なことだと思います。でもそれはあくまでも情報に過ぎません。また、発表にはよほどでない限りは、自己投資も必要です。また、万人に対して感動や喜びを与えるもしくは感じてもらえることは、並大抵なことでは行きません。先ずは一部の人たちと、自己表現した思いや考えを共有出来れば、それで良いように思います。そして、それは、行動として起こさなければ、決して伝わらないものでもあるのです。

8月予定の、”Story vol.2”は、そんな思いを持った方々の参加を願って止みません。ギャラリーには、いつかは、自分の作品を発表したいと思っている方々がお見えになります。そんな方々とお話をしていていつも感じることは、前に踏み出さなければ、そこから先は見えてこないし、それは他人ではなく自分で起こすもの、と言うことです。

今からでも遅くはありません。ご応募お待ちしています。




http://kalos-gallery.com/event/planning.html

2010年5月26日水曜日

モノクロームの世界

月曜日と昨日の午前中に、現在仙台メディアテーク5Fで行われている「第2回B&W Sendai Photographers 写真展」を見に行きました。月曜日はあいにくとどしゃ降りの雨だったので、来場者は少なめでしたが、それでもあの雨の中見に来るお客さんがいることには少し驚きでした。うちでしたら、おそらく誰も来ないでしょうから。


このグループには面識がある方もいらっしゃいますが、そんなことを抜きにしても素晴らしい展示会であったように思います。アマチュアとプロが混在していて、それぞれにレベルの違いはあるにしても、今の自分のスタイルや個性が充分発揮されたものでした。

ひとり4mもしくは8mの壁面に、展示方法もテーマも自由に作品が配置されています。プリントも銀塩であったり、デジタルであったりとマチマチです。共通していることは、モノクロームであること。色彩に彩られることなく、会場全体に光と影のコントラストが躍っているようにも見えます。

一口にモノクロームと言っても、実はそれぞれに全く違う色を感じるものです。それは単純に制作方法によるものもありますが、描かれている対象やトーンの違いなんかにものすごく影響されてきます。一見して強く、硬く感じられるプリントでも、実はとても優しいイメージを内在している場合があり、それは受け取る側の主観によるところもあるのですが、それもまた不思議なところではあります。

また、そんな現実感とは離れた部分や逆に現実を強く意識するようなモノクロームの世界は、見る側の想像力や感性を試すような状況を作り出す場合があるのですが、そんなことはあまり考えずにただ感じたまま、目の前の世界を楽しめば良いのです。

会期は本日26日までです。時間はPM5:00までですので、ご注意を。

是非、お見逃しなく。

2010年5月25日火曜日

身の程・・・身の丈

今日は朝から自転車で2か所ほど回っていました。昨日とは打って変わって夏のような天気の中、肌に感じる風がとても心地よかったです。たった今ギャラリーへ戻ってきたので、更新もちょっと遅めになってしまいました。さて、何を書こうかとおもむろにPCの前に座ってみたものの、何も思いつきません。そんなわけで、ここしばらく感じていたことを書こうと思います。


身の程に合った生活、身の丈にあった大きさを良しとして生きていくことはとても大切なことです。でも、もし、人それぞれに器が決まっていて、その大きさを自覚し、納得して生きているのだとしたら、それはとても悲しいことだとも思います。

遥か昔、日本に身分制度があった頃は、それがごく当たり前のことのように、社会制度として理解されていました。大多数の人はそれに従い、それが自分自身の将来へ直結していたわけです。身分制度が無くなってからも、長い間、特に女性は慣例を重んじる社会環境の中でそういう思いをしてきたのだと思います。(今だってある部分ではそんなことが残っていると、個人的には思いますが)

さて、現在はどうかというと、言葉としての不公平さは世の中全体で無くそうとはしていますが、現実としてそうではないことが多くあります。昨年来の派遣切りなんかはその一例なのかもしれません。一方で情報社会として既に認知されているネット上のSNSやコミュニティーやtwitterなんかは、オープンでフラットな世界として拡大を続けています。そう言った意味では、やや健全な世界へと向かっているのかも知れません。

この場で、そんな世界上での顔の見えない匿名性とかを云々するつもりはありません。実際ネット上での言葉や行動がリアルタイムに現実の世界へ繋がっている例はいくらでもあります。ただ、その中での自分も身の程に合った自分なんだろうかと、ふと考えたりします。バーチャルの世界での身の置き方といったところなんだと思いますが、僕の場合は、自分が自分ではないような感覚がまだあるなというのが正直なところです。(ネット上でも現実なんだけどなぁ)

一方、現実(生)の世界でも、今の自分自身についての身の程や身の丈を意識しながらも、それ自体を納得というか自分自身で制限したいとは思っていません。その思いのようなものは年齢を重ねるほどに、徐々に強くなってきているようです。

やはり、これからの少ない時間で、何を残せるのかを考えるようになってきたことと関係があるように思います。決して大それたことではないにしても、自分から枠を意識し、納得してしまったのでは、まだ見えていないだけの可能性を捨ててしまったことのように思えるからです。

僕自身、単純にあきらめが悪いだけなのかもしれませんが、もうちょっとジタバタしてみようと思っているのです。