やはりというか天気予報通り空はどんよりとして、今にも降り出しそうな感じですが、今日、明日と普段通りしていこうと思います。
表現する人にとって、その行為は普段の日常の一部分であり、食事や睡眠といったものと同じように切り離すことは出来ないと思っています。だから、大抵のものは普段通りの行いの中から生まれているものです。
写真は記録する媒体で、カメラはその一端を担っている道具に過ぎません。ですから、その結果として作品として提示されるものは、常にその枠の中にあると思っています。とは言え、アートとして見られる多くの写真には、決してそれだけではない作家本人の意思が感じられなければなりません。目の前に見える事象そのものだけではなく、内に秘められた何物かであったり、作家自身の生き方や行為を象徴するものといった、ある意味枠をはみ出したものといっても良いかと思います。
それでは、その対象となるものは、何か特別なもので無ければいけないのか、と言うことになります。でも、答えはNoであることは、誰にでも分かることです。なぜなら、そのほとんどは普段の日常から生まれているものだからです。
しかも、写真は四角い枠の中で表現するものです。中にはそうでは無いものもありますが、それらは違ったものとして捉えられる方が多いですから、他のアートと比較すれば、創造の自由度は少ない方なのかもしれません。制作という観点で考えれば、とても小さな枠組みの中でステレオタイプに陥りやすいものなのです。
素直に美しいと思えるもの、さまざまな定義に沿った写真の類は、それはそれで良いものだと思っています。それらのものを認めないまま、枠をはみ出すことはあり得ないと考えているからです。言いかえれば、ただいたずらに外れただけでは、それだけのものにしかなりえないということですね。
人はいろんな枠に囲まれながら生きているわけだし、その枠を意識し認めることは普段の生活を送る上で大事なことです。だからといって、その枠の中でしか生きられないと思う必要は無く、その前提があってこそ、ここから外とかそこから先とかが現れてくるものだと、僕は思うのです。
○福島隆嗣写真展 「恐ろしいことを考え続けるための都市実践」
2011年10月30日(日)~2011年11月20日(日)
13:00~19:00、月曜日休み、入場料 ¥300
期間中何度でも入場出来るパスポート制です。
http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html
陽を待つふきのとう
3 日前
0 件のコメント:
コメントを投稿