東北の人は我慢強い、粘り強い、昔からそう言われます。
震災後は、特にその言葉を聞く機会が増えたように感じます。冬の厳しい寒さに耐えしのび、無口に黙々として生きている、そんなイメージが広く世間一般に伝わっているからなのかもしれません。
僕もこの仙台で生まれたわけですから、東北出身の人になりますが、個人的にはそんな気質をもっているかなんて意識したことはありません。どこかで、周りとの距離を保つための壁というか殻というかそんな内向的な部分があるようには思っていますが、それだってただ厚く、硬いだけのものではありません。
与えられた環境や立場の中で、言葉少なく一所懸命に行動している姿は、それだけで良く頑張っているよねと思わせるところがあります。また、口も重く、自分の意思を行動として表わすことが苦手であるから、多少嫌でも、我慢してやるしかないんだと、無意識の内に言い聞かせているかのように見えるのかもしれません。
でも、信念とか主義とか大それたものではないにしろ、どんな人でも自分自身の価値感や考えに従って生きているはずです。結局、最終的な判断は、それによるのだと思っています。(人の意見や考えを無視するということではありません)それは、東北の人に限らず、どの地方の人にも言えることです。
震災は、ある意味、我慢強さや粘り強さの根本を僕たちに見せろと言っているのかもしれません。こんな途方もない代償を与えた上で。
じゃぁ、どうやってそれを見せるかということですが、やはり、自らの意思を持って毎日行動していくしかないないんじゃないかなと僕は思います。それは、実際に目に見える行動であっても、そうではない部分で表現しても、どちらでも良いのだと思います。
決して、簡単なことだとは思っていません。
そう、今すぐみんなでやりましょうよと呼び掛けて、ただ集まれば出来るほどたやすいことでもありません。
それでも、そういう思いの入ったひとつひとつが集まれば、きっと良い方向へ行くのだと信じています。それは、以前から話しているように、個と個を繋ぎ、少しでも大きな力へ変えることと一緒です。
その為なら、我慢のしがいもあるのでは、と僕は思うのです。
今日も無理せず、頑張りましょう。
陽を待つふきのとう
4 日前
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