仙台を離れて約30年。一昨年戻ってきた時には、幼い頃に目にしていた光景はすっかり様変わりしていました。立ち並ぶビルやマンションの多さや整備していった道路の状況は、そこで生活する為の利便性や効率性を考慮しながら、徐々に変化をしていったのだと思います。でも、その変化の在り様をこの場で見ていない僕にとっては、時折まるで知らない場所に入り込んでしまったような感覚を覚えたものです。
政令都市になる前の仙台市は、あくまで個人的な印象として、今の範囲よりもかなり小さかったように感じます。まぁ、高校までの話ですから、その時の僕の行動範囲も非常に狭く、周りの光景イコール仙台であったわけですから、そう感じるのは当たり前のことです。もっとも、物事の全てが無常であるのなら、それはごく自然の成り行きなのかもしれません。
古き良きものの価値を認め、そこに新たな変化を融合させつつ、住む人たちの生活を便利で豊かにしていくことが、地域に共通した都市化の認識だと思います。そこで暮らす人々在りきが前提となるわけで、誰それに自慢したいとかどこぞの都市と肩を並べることが目的ではないはずです。
今回の震災で、沿岸部の街はそれ自体がほぼ消滅してしまったり、家も人も流され、この先自分の住む街がどうなっていくかがまるで見えない状態だと思います。復興という名の元に、元通りになることを目指していけば良いのかもしれません。或いは、街そのものを全く新しく作り上げていく必要もあるかと思います。いずれにせよ、非常に重い荷が住む人自らに背負わせられたことには間違いありません。
人は皆、母親たる安心、安全な胎内から、このように辛く、苦しいことのある世界に生まれてきます。しかも、多くは、本能として自分で生まれてきます。これから起こるであろういくつかの災難や困難に立ち向かう為の産声を上げながら。
だから、僕は誰にもDNAとして再生する因子を持っているのだと思っていて、それらが繋がり、集まることでさらに大きなものが生まれると信じています。
そして、それはむしろ地域に根ざした人々であるからこそ出来ることのように思えるのです。
“rebirth”
未来ある子供たちの為にも・・・。
今日も無理せず、頑張りましょう。
谷に眠る
1 日前
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