昨夜遅くピナ・バウシュの「カフェ・ミュラー」を見ました。もう何度となく見ているこの公演は、2006年春にインタビューと共にNHKが放映したものです。
見るたびに感じる哀しさや切なさはそのままに、やはりピナ・バウシュ自身が奏でる表現力に圧倒されます。この時、すでに65歳だったと思いますが、無駄の無いなめらかな動きには、迷いも見られず、美しさや透明感を備えた立ち居振る舞いはその年齢すら感じさせないものです。
この番組のインタビューで、ピナ・バウシュ自身がマクベスをモチーフにした時の作品創作方法について述べています。しかし、ここで述べられていたことは、創作の方法論ではありませんでした。ピナ・バウシュは次のように話しています。
「私の方法というものは本当にはありませんし、方法を持とうと思ったこともありません。 私がやっているのは、どういうやり方でなら自分の言いたいこと、表現したいことのエッセンスを見つけられるかの模索です」
このことは、何もダンスに限ったことではありません。誰もが無意識に考えていることのようにも思えます。ただ、アーティストはそれを自身の内で意識的に絶えず考え、思いめぐらせているのだと思います。自己表現についても時間とその濃密さが違うとも言えます。そして、そこで見つけた本当に今表現したいことや感情の発露のようなものを作品として昇華しているのです。
ピナ・バウシュは、去年7月にガンで亡くなっています。多分、2006年の公演が日本では最後のピナ・バウシュ自身が出演したものだったと思います。この放映を見るたびに、やはり、あの時会社を休んでも見に行くべきだったと後悔しているのです。
http://www.youtube.com/watch?v=Jm70fMM3JAk
月夜の松
2 時間前
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