もう何十年も考えていること。
伝えたいこと、伝わること。
自分の考えや意思、あるいは仕事上での指示にしたって、自分が他の人に伝えたいことをそのままストレートに伝えることは、非常に難しいですね。ギャラリーを始める以前のずっと昔からそう思っていました。
だから、人は論理的、数値的に変えられる部分は、具体的な形として示すことで、分り易く表現し、出来る限り真意が伝わるようにしようとします。これは、感情の伴わない部分では、かなり有効な手段ではあります。
じゃあ、感情や感動といった心の動きを、他の人に伝える時はどうしますか。ある人は自分の言葉で語り、又ある人はそのままずばり映像として見せたり、また文章を書くのが得意な人は、文書として分り易くまとめて伝えようとします。
でも、それって説明であって、本当に自分か感じたこと、自分が表現し伝えたいことじゃないような気もします。
例えば、好きな女の子に告白する時に、自分の気持ちや思いを論理的に、かつ冷静に伝えられるかと言えば、そうじゃないのと一緒です。
ましてや、どれほど伝わっているかは自分では分らないことの方が多いですから、余計、伝えることの困難さを感じます。
アートの世界は、そのあたりが特に難しいように思います。一つの作品を観て感じることは、100人いれば、100通りあります。しかも人は、視覚のみで感じるわけではなく、無意識下で様々な感覚を働かせています。もちろん、その日の体調や状況にも左右されるわけです。
ということは、逆に、アートに対して何を感じてもいいし、伝わるものが人それぞれであっても良いわけです。むしろ、そこから生まれるときめきやドキドキとした感情や感動を大事にした方が良いように思えます。
今は、そんな風に自分に対して言い訳をしつつ、作品が本来持つピュアな部分を感じてもらいたいと願いながら、展示を行っています。
そして、伝わっているかを決めるのも、僕ではありません。
観に来てくださるあなた方なのです。
陽を待つふきのとう
6 日前
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