2011年8月7日日曜日

今宵はTanabata Night !

本日がLove and Joy最終日です。


少し物哀しい感じはありますが、テーマのように元気で、笑顔になれるような最後だといいなと思っています。夕方から、エンディング・パーティーを行いますので、一度見に来られた方もまだ見ていない方もこぞって来て欲しいですね。

参加者も皆集まっていますし、他の写真家の人も来られると思いますから、楽しい話で盛り上がってくれるはずです。Ustreamでも配信する予定にしています。ただ会場を写しているだけになるかもしれませんが、過去のそれも同様だったのでこちらとしてはあまり気にしていません。本当はいけないのでしょうが、実際この場で雰囲気や楽しさを感じて欲しいし、その一端が垣間見られればと考えています。

約一カ月の長丁場と思われますが、参加者や僕自身もほんとあっという間の出来事です。これまでにかけてきた時間の方が圧倒的に長いし、生みの苦しさや楽しさを良く理解しているので、やや傲慢に聞こえるかもしれないけど、始まってしまえば怖いものなしで、いろんな人に見て欲しいというのが本音で、ずっとこのまま展示していればいいのにと思っているのです。

でも、モノには始まりがあれば、終わりも必要なのです。逆にこれで終わりということが無いからですね。だから、参加者も僕もこのLove and Joyはひとつの通過点に過ぎません。冥土の土産になんて感覚は全くもってないわけで、これから先の事しか考えられないのです。

今、先が見えない、未来が想像出来ないとの言葉を良く耳にします。でも、先なんて始めから見えないものですし、もし見えたとしたらひどくつまらないもののように感じられるのかもしれません。それに、これから先のことは、自分自身が思い、願い、行動として進めていかない限り、現れてこないものですから。

夢のあとさきではないけれど、今日参加者それぞれはまた違ったスタートラインに立つわけです。ゴールは遥か遠くにある方がいい。振り返り考えられるだけの余裕もあった方がいい。一歩ずつ確実に進んでいけばいい。

そんな彼らの姿を見に来て下さい。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月6日土曜日

選ばれてしまった人間

テレビに映し出される広島の空は青く、太陽が降り注いでいました。今日は66年目の広島「原爆の日」です。被爆者の平均年齢が77歳を超え、すでに多くの人は歴史のひとこまのような感覚になっているのでしょうが、66年前に現実にあったことです。


今年は東北大震災を発端とした福島原発事故が今現実に起きてしまっています。両方とも人が生み出した「核の力」が原因です。一方は忌わしい戦争の担い手として、そして他方はエネルギー政策の一環として、その時点で必要と思われると信じられていたものです。しかしながら、そこから見えてきたものは、決してあってはならない悲惨さと悔恨だけです。その時々でその恩恵を受けてきた人たちはいるのでしょうが、他人の犠牲の上に成り立つわけはないと思っています。

広島、長崎の原爆投下の事実は、時の経過から歴史となり、その場で生き、暮らしてきた人々の思いや感情までを正しく伝えられなくなりつつあります。語り継がれるべきものは、その時の状況やデータといった情報ではなく、むしろそこで懸命に生き、耐えてきた言葉にならない本当の思いなのだと思います。

目の前にある現実から目をそむけて生きていくことは、誰にも出来ません。その場を離れたとしても、同じなのだと思います。福島原発については、まだこれからの話で、刻一刻と状況も変わっていくはずです。僕を含めその場にはいない人たちも、その推移やその地に暮らす人々をしっかりと見ていかなければいけません。

今後繰り返し起こることが無いようにする為にも、国やメディアといった大きなものではなく、この時代に生きていた僕たちが語り継いでいかなければいけないのだと思います。
ある意味、僕たちは選ばれてしまった人間でもあるのです。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月5日金曜日

七夕前日

今週末は東北各地で夏祭りが行われます。仙台も明日から七夕です。でも、今年はやはり規模自体は小さいのかもしれないなと思わせます。普段ですと近所のお店の前にも竹飾りが出ていたりして、あぁ、七夕の季節なんだと自然に感じられたりしていたのです。今年はそんな姿はあまり見られず、市中央の商店街に行かないと見られないのかもしれません。


また、今日は七夕前夜祭として、市内で花火大会も開かれます。中止も考えたのでしょうが、夏の夜空にきれいな花火が上がる姿をみんな見たいのだと思います。お天気が心配ですが、今はとても気持ちの良い青空が見えてますし、何とか持って欲しいですね。

打ち上げ花火の美しさは、一瞬さにあります。ダラダラと長く輝くのではなく、夜空をスクリーンにして、迫力を持ってその姿を表わします。人生の内で必ず一度は輝ける時期が来ることを思い起こさせてくれる感じさえします。

しかも、一回一回の打ち上げには様々な表現があって、いくつかの花火を組み合わせることでそれらを表わしたりもしています。花火師の人とは付き合いは無いのですが、きっと職人であるのでしょうが、その前に表現者としての顔を持っているに違いないと思うのです。

花火に仕込む火薬の種類や大きさ、配置によって見え方は変わるわけですが、そこには、職人さんの技術や経験、知識といったものが集約されています。でも、見る側はいちいちそんなことを想像したり考えたりすることはありません。目の前に見えているもの、そこから感じられるものが全てです。

アートもやや似ている部分があります。技術や技法、道具といった部分はあくまでも作り手の言い分で、見る側にはあまり関係の無いことです。これを使って、こんな風にすれば間違いなしなんてことも無いし、たとえそうしたことで生み出された作品たちであっても、見る人の感覚によって捉えられ方はさまざまです。

だから、前提とか形式はあまり必要ないし、ただそれだけにこだわっているのでは何も生まれてこないとも言えます。

大抵の人は、そんな小さなこと以外の、そこにある何ものかに惹かれるのです。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月4日木曜日

「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」

昨日思いつきのまま、新企画を発表しました。あまり変わりばえしないじゃないと言われそうですが、ギャラリーですから、作品を展示、発表し気に入ったものを購入してもらうことが本来の姿だと思っています。その為、質の良い、面白い、見る人の共感を得られるような作品をお見せすれば良いのです。


但し、個人的にしていることもあり、またもともとアートの世界にいたわけではありませんから、その範囲も限られるものです。乱暴な言い方をすれば、首都圏で活躍する著名な作家の作品を持ってきて、それを見せさえすれば良いわけでもなく、また新参のギャラリーに作品を預けてくれるかというとそうではありません。

昨年の5月まで、先ずは写真の本来持つ表現の素晴らしさを現物のものとして、目の前で見てもらっていました。一種のカルチャー・ショックのようなことをしようとしたわけです。その後、それらに興味を抱き、自分でも発表を考えている在仙や福島の人たちを集めて、Sha-gaku、Story、Photo Showcase、そして今回のLove and Joyといくつかのコンセプトの元いわゆる公募のような形に方向を変えてきました。

経験は人を進化させるのかもしれませんが、何度か行ってくると次の道がなんとなく見えてくることがあります。これまでずっとアマチュアの方による企画展でしたが、決して質が落ちているとは思っていません。むしろ、その逆であるような感覚さえします。

理由はさまざまあるのでしょうが、自身の作品を提示、発表をしない職業的なカメラマン(もちろんそうではない写真家はたくさんいます)よりも純粋に自分の世界を追い求め、表現しようとしているアマチュア写真家の方が、今の僕にとってはとても大事なのです。

さて、今回はと言えば、対象はずばりビギナーです。

ギャラリーで展示なんてとてもとてもということを良く聞きます。そんな方々に主役になってほしいのです。写真やカメラに関する経験や学習も少ないいわゆる好きで撮っているんだよねという人たちの中にも、いずれは発表をしたいと考えている方はいるはずです。

特別ではない普通の人たちが、真摯に展示に取り組む姿を僕は何度も見ています。彼らの多くは、展示が近付くにつれ表情が良くなっていきます。たぶん気持ちやモチベーションのようなものがそうさせるのだと思います。

恐れる(何にではなく、たぶん自分に)必要はありません。自分の望むほんの少しだけ特別なことをするだけです。自分の思い描くことが、目の前に現れ、見る人に驚きや感動を与えることが出来るかもしれません。

それって、すごく素敵なことだと思いませんか。

「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」





○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」
8月7日(日)17:30-20:00(延長あり) 場所 Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html



2011年8月3日水曜日

大事なのは考え続けること

2日前に、Sha-gaku vol.3 の情報更新をしました。今回で3回目となるSha-gaku ですが、以前にも増して個性溢れる作品をお見せできそうです。参加メンバーも、以前に参加された3名に加え、5名の新たなメンバーを加え、しかも狙ったように男女4名ずつとなっています。詳細はこちらです。


Sha-gakuは、テーマやコンセプトに制限なく、写真作品であれば基本的にどんなものでも受け入れようとしてスタートしました。おそらく、参加を考える人たちも迷ったのだと思います。やはり、何か決めごとがないと逆にまとまりづらく、参加するにも迷ってしまうのかなと、なかなか集まらない日々に悶々としていたことを思い出します。


今だって、それほど多くの人が参加をしたいと言ってくるわけではありませんが、震災後のこの時期を考慮すれば、直接的にチャリティーとか義援(現在のギャラリーの全体の趣旨としてはありますが)ということもなく、よく集まってくれたものだというのが本当のところです。

今だからとか今こそと意気込んで行えるものかと言えば、気持ち的にはそういう部分が必要かなとは思いますが、そことは別の部分が無いと出来ないものです。つまりは、表現することの発露であり、そこから生み出した作品足り得るものが自分にあるかどうかですね。

でも、時にはそんなことは抜きにしても、何か伝えたいこと、表現したいものがある、それだけで始めてしまっても良いのではとも思います。

じゃあ、作品は二の次なのと言われそうですが、決してそうではありません。見る人によっては稚拙だとかいまいちだとかの評価を受けるかもしれませんが、Sha-gakuでは既に完成されてしまったものは望んでいません。中途半端ということではなく、今自分が持っている能力や経験から、等身大の作品を発表してくれれば良いのです。

その為に発表に際しては、彼らのほとんどは自分を見つめ、写真に問いかけ、自分自身をも見直し、考えることを続けています。おそらくは、展示終了し、会期中であってもそうなのだと思います。

そう、大事なのは考え続けること、そこからしか何物も生まれないのです。

2011年8月2日火曜日

一週間の始まりです。

Love and Joy は今週が最終週となります。


1か月、長いなと思われる期間は、案外あっという間に過ぎて行くものです。今回もさまざまな人たちとの出会いがありました。いくら写真が好きだからといって、毎回訪れて下さる方は多くは無く、やはり好き嫌いもありますから、今回はいいかなと思われる方もいらっしゃるのだと思うのです。

だから、初めてギャラリーを訪れて下さるお客さんの率は、毎回6割以上になります。その方々が興味を持ってくれ、また来られることを願いながら接しているのですが、僕の悪い癖でお名前をお聞きするのを忘れてしまうことが良くあります。

今は個人情報云々が取りざたされていますので、こちらからあれこれと聞き出すわけにはいかないですから、ますますそうなってしまうようです。そんな時は、毎回反省と後悔をしているのです。

今回は参加者それぞれがノート等を用意して、来られたお客さんからコメントを受けられるようにしています。名刺のようなものまであります。次回行われるSha-gukuでは、ボードを壁面に準備して、好きなように書いてもらうようにしています。好きに何でも書いていいよと謳っていても、始めはなかなか書かれないものです。誰かが書き残したものを見ながら、徐々に埋まっていく感じです。

Love and Joy では、コメントを残してくれているお客さんが多いように感じます。文面には元気や笑顔、優しい、暖かいといった言葉が多く見られます。まぁ、コメントを書いて下さるくらいですから、批判めいた言葉は無いのですが、とても素直な感想が多いようです。

コメントを強要することはありません。でも、何か感じてくれたのなら、それを表わして欲しいなとは思っています。特に、同じように表現をしている人たちについては、自分が感じた部分を言葉やその他の手段であっても構わないけど、即時的に残して欲しいのですね。

表現者って、その存在自体やその時々の感情といった人間くさい部分がもっとも大事だと、個人的に思っているからです。言いかえると、さまざまなものを表わし、残すことが表現者たる所以であるように思えるからですね。

最終日には、Tanabata Night!なるものもあります。

今日がその一週間の始まりです。

2011年8月1日月曜日

今日から8月

外は曇り空、気温も低く、少し肌寒い感じです。そして、今日から8月、このまま秋に突入しやしないかと憂いながらも、まぁ、過ごしやすいし、それでもいいかなとも思ってしまいます。


何かをしても、何もしなくても月日は否応なく進んでいくものです。何もしていないなんてことはあり得ないのですが、普段の生活だけを繰り返し行っているだけでは、何もしていないような感覚に陥りやすいものです。

生きていく為の行いは、基本的に自分に向けられたものだと僕は思っています。毎日の食事や仕事、その他生活に必要不可欠なさまざまなことは、最終的に自分自身に帰ってくるものだからです。これは、人は皆自分のことだけしか考えていないエゴイストな存在だといっているつもりでは無く、ごく自然の成り行きなのだと思っています。

ごくごく自然で当たり前であることが、逆に何もしていないような印象を自分自身に持たせてしまうわけです。でも、この当たり前の事が本当はもっとも大事な部分で、それさえ出来ていれば良いとさえ言えます。

一方、自己表現を形として世に問うようなことは、生活に必要不可欠な行為ではありません。しかも、その内容がただ自分に向けられたモノだけでは、見る側(見せられる側)にとっては理解しがたく、不可思議かつ状況によっては苦痛や不快感さえ与えてしまいます。ですので、こういった行為は、多くの人にとっては、とっても不自然なもののように感じられます。

しかしながら、自分自身を含めて他者に向けられた表現(作者は常にそれを意識しているものですが)は、共感やつながりを覚え、あるいはこれまでに気づかなかった発見を生み、お互いに喜びや感動を分け与えるものとしてあります。これらは、とても自然なものとして受け入れられます。

じゃぁ、ここで言う自然と生きる行為としての自然とに違いがあるのかというと、僕はあまり違っていないのではないかなと考えています。向けられている方向が逆であることが重要なポイントなのですけど、乱暴に言ってしまうと、表現し、発表することは決して特別なことではなく、ごく自然の成り行きの一部だということです。

そんな素敵な自然な行為を多くの人に伝えたい、毎回そう思いながら写真展を行っているわけです。作者らと一緒に悩み、楽しみながら、自然のままに。