2011年4月30日土曜日

チケット

今回の写真展では、時間や周りの状況によりDM(案内状)を作成していません。DM自体がどれほどの広報効果があるかは、なかなか読めないところですが、ギャラリーへ来られたお客さんに対してや営業活動の報告のような感覚で作っています。


個展の場合は、シンボリックな作品を出来るだけシンプルに載せるようにしていますが、公募展のように複数人で行う場合は、それぞれの作品イメージを効果的に載せるには、ハガキ大というスペースでは足りないように感じたり、印象もぼんやりとしてしまうように思われ、無い知恵を絞りながらデザインしています。

僕はイラストレーターでもデザイナーでもないし、専門的な知識も持ち合わせていませんが、一応自分なりの意味を考えて、作成しています。収益の一部を義援金としてすることもあり、今回から入場料をいただいています。DMはありませんが、その為のチケットがこれです。


サイトでも使用しているイメージを載せています。これにも一応は僕なりの考えが隠されていて、背景の緑は宮城のイメージカラーです。中央にある赤青のメガネが3D写真を見る時に使用するものですが、片側から投影された文字イメージを反対側のピンホールから写真として定着させ、再び投影されるといった無限のループを表わしています。もちろん、メガネ自体も無限大のマークのように見えるようにしているつもりです。

簡単に言ってしまうと、繰り返し継続していけば、それだけで無限大の可能性があるんじゃないの、ということです。

チケットも、こちらではあまりなじみの薄いパスポート制にしています。2度、3度と見に来られる方は少ないとは思いますが、もしもう一度見たいなと思えたら、いつでも来ていただけるようにです。

多分、繰り返し見に来ていただけたなら、それだけで元気になってしまうと思います。

僕はそんな単純な人間なのです。

2011年4月29日金曜日

お待ちしています。

GWが始まりました。今日はスポーツでは、野球、サッカーが地元での開幕を迎え、多くの人が球場やテレビで観戦すると思います。こんな時ですから、ほとんどの人は明るいニュースを待ち望んでいます。選手たちも意気に感じて、精一杯良いプレーを見せてくれるはずです。結果はその次ですから。


そして、ギャラリーも黒田克夫写真展『Origin and its Possibility』が始まります。すっかり準備も整い、今は来られるお客さんを待つだけです。これまで来られたお客さんにとっては、若干趣が変わって見えるかもしれません。他ではほとんど見ることの無い3D写真と写真の原点とも言えるピンホール写真が同時に見ることが出来ます。

震災の中で、写真本来が持つ記録が改めて見直されています。津波で泥まみれになってしまった写真やアルバムの修復活動も見られます。写真自体は言葉もなく、その時の記憶の断片として切り取られた「絵」ではあるけれど、そこにはその時の感情や思い出を呼び起こす力があるからですね。

そして、カメラさえあれば、誰にでも撮れるものです。ただ、それを表現の手段として作品までに昇華させることは案外難しいものです。この辺りのギャップが発表を思いとどまらせている原因のひとつなのだとは思うのですが・・・。

何はともあれ、ほんのひとときでも楽しんで、安らいでもらえれば良いと思っています。
黒田さんもちょこちょこと顔を見せる予定ですので、会えるかもしれませんし、使用したピンホールカメラも参考展示していますので、珍しいものを見るつもりでお出でいただいて構いません。

また、作品販売と入場料収益の一部は、日本赤十字社を通して義援金としています。是非ともこの機会に作品をご購入下さい。

正直、写真の力ってそれほど大きいものではないと思っているけど、何か出来ることはあるはずで、そんな気持ちが行動として集まれば、微力でも役立てることは出来ると信じています。
でなきゃぁ、ギャラリーなんてしていませんからね。

お待ちしています。

2011年4月28日木曜日

転機

昨夜テレビで、日本文学研究者のドナルド・キーンさんが日本国籍を取得し、永住する旨のニュースが流れていました。ドナルド・キーンさんと言っても、僕自身著作物を読んだり、講演を聞いたりしたこともなく、名前程度ぐらいしか知りません。


彼は今、88歳、50年に渡りコロンビア大学で教鞭を取られています。彼と日本文学との出会いは、18歳の頃、わずか49セントで手に入れた「源氏物語」だったと言います。それをきっかけに日本研究の道に入り、数々の出版や講演、日本での文化活動を経て、2008年には文化勲章を受けるまでになりました。

そのような人ですから、今回の震災は、日本人以上に心を痛めたのだと思います。業績や年齢的に言っても、母国アメリカからいくらでも後方支援的な活動は出来るのだと思いますが、彼はそれを良しとはしませんでした。

ニュースの中のインタビューでは、今回の震災が自分にとっての転機であると話しています。そしてまた、年齢的にもそれほど大きな活動を出来はしないが、少しでも力になれればとも話していました。

震災からの復旧や復興の為の行動であるとしても、これを自分自身の「転機」として捉えているところに大きな意味があります。日本文化に触れ、それらをこよなく愛し、研究を重ね、今がある自分に対しての使命感のようなものなのかもしれません。

震災では、そういった使命感を持ちながら、自らを犠牲にし、命を失った方々が多くいらっしゃいます。その多くの人々は、いわゆる一般の、そして無名の方々です。しかも、そんなことすら考えるいとまもなく、一瞬の判断で行動した結果と言って良いものです。

現在、あらゆるメディアで復旧や復興といった言葉を見たり聞いたりし、僕自身も展示会を復興支援企画としていますが、実はちょっと違っていないかと感じるところがあります。失われた命が戻ることはないし、全てが元通りになることは難しいだろうし、こうしたことで浮かび上がった問題も数多くあるのだから、それらを打ち破るには多くの試練や覚悟が必要なのかなと思うのです。

そう考えると、彼の言った「転機」は、現在多くの人にすでに芽生えているもので、決して他人ごとではないはずです。そして、それぞれが繋がりながら、湧きあがるようにして再生していくしかないのかもしれません。

2011年4月27日水曜日

展示作業

予想よりも展示に時間がかかりそうです。


というのも今回の作品は、A4サイズ5点以外は、印画紙で言うと全紙以上なので、額装を行うと1mを越えるものが何点かあるからです。展示作業はよっぽどのことがない限り、僕ひとりで行っています。位置や高さを合わせる為の水準器等を使用しながら、作品ひとつひとつを展示していくわけですが、紐の場合はそのたるみの違いにより、ずれを生じてしまうので、何度か上げ下げを行わなければなりません。そのたびに作品を慎重に扱わなければなりませんから、おのずと時間が掛かってしまいます。

今日はそんな種類の展示作業が主になります。それでも、午前中には終える予定ではいます。その後、タイトル等のキャプションを付けて、ほぼ完成ですね。3D写真の方は、所狭しと写真が林立しているような感じで、3Dの森を歩くような感じです。一方、ピンホール写真は一点一点をじっくりと見られ、量的にも充分に、を考慮して配置されます。その為に、予定より2点程少なくしています。

やはり、実際の大きさやイメージを眼で肌で感じないと最終的には決められません。この作業はいつものことなのですが、大ぶりの作品が多い場合は特にその辺りが重要になってきます。構想やシミュレーションで予想出来得ないこともありますから。

そう言った意味では、実際の展示はとてもアナログな作業になります。あらかじめ想定された数値の中ではあるにしても、遊びや余裕も必要になりますから、イメージの順番も含めてその場その場で決めていく形になるわけです。

僕にとっては、この考えている時間がとても楽しいひとときなんですね。ひとりで大変でしょうと言われたりもするのですけど、実は誰にも邪魔されたくない時間でもあるのです。それでも、自分勝手な考えだけで行わないようにはしていて、常に自分を監視しているもう一人の自分を意識しています。

さて、またそろそろ始めますか。

2011年4月26日火曜日

楽しくも悩ましい時間の始まり

いよいよ展示にかかります。


本日、午後に作品が搬入され、事前に検討したある大まかなレイアウトに沿って作業を行います。今回は、作品個々のイメージ確認作業と実際に壁面に合わせた時の感じをつかむことから始まります。本来、全ての作品イメージを事前にもらい、展示のコンセプトやテーマに則した構成を考えるのですが、今回はちょっとバタバタとしていて、概要のみを検討していたので、頭の中でのイメージと実際の違いがどれほどあるかがポイントになってきます。

Sha-gakuのように公募で行う企画展の場合も同じような状況で行う場合が多いので、その辺りは経験と慣れが物を言う世界なのですが、何が起こるかはその時々で違ってくるし、毎回ドキドキとする部分ではあります。

作品性とそこから生み出される世界観は、展示構成によって大きく違ってきます。時に意表を突くようなやり方を見かけますが、僕の場合は、出来るだけ自然にその世界に入ってこれるような形にしたいと考えています。なので、自分がギャラリーに足を踏み入れ、ぐるりと眺めた時の感覚を大事にします。そして、出来るだけ客観的に見るようにするわけです。

それから、作家の思惑や意向と違っていないかを確認します。確認と言っても、僕個人の感覚によるところが大きいので、この辺りは今までどれほど作家とコミュニケーションが取れているかに依ってきます。

そういった意味では、本当に大事な部分は、展示前に既に確認し終えているのが望ましいし、実際の展示では詳細の作業をお互いにするだけ、というのが理想です。それまでに、作品だけではなく、作家自身の人柄や制作に対する姿勢や考えといったものを理解する必要があるわけです。このことがお互いの納得感に繋がってきます。

これって、個展に限ったことではありません。グループ展の様相をしている企画展についても同様です。全体としてのまとまりは必要ないのと言われそうですが、あまり気にしていません。むしろ、個々の作品、展示について、熟慮した方が結果としてうまくいく場合が多いものです。

何はともあれ、楽しくも悩ましい時間が始まります。

2011年4月25日月曜日

いつもと変わらない感じで・・・。

本日、東北新幹線の東京―仙台間が45日振りに運行を再開したニュースが流れていました。全線復旧は29日とのことで、ゴールデンウィークに間に合う形になります。東北の観光地は震災以来キャンセルが続き、再開出来る目処すら立っていないところが多くあります。


予定されていた様々なイベントは延期や中止が検討され、実際行われなくなってしまったものも多くあります。地域の活性化や恒例の行事としてその役割を担ってきた祭りも今年はどんな格好になるかが分からない状況です。

こんな時だから、今年ぐらい止めてもという意見もあるかと思いますし、実際それどころではない方が多いのですから、致し方ないし、誰も責められません。何事もなく、変わらずに行えることが、実は一番大切なことだと再認識されます。

さらに物理的に出来るにもかかわらず、気持ちや周りへの配慮によって出来ない場合もあります。こちらの方が、もっと悪い状況なのかなと思います。

ゴールデンウィークを利用して、ボランティアを行う人たちがいると聞いています。また、それどころではなく、休みなく仕事をしなければならない人たちもたくさんいます。

それでも、観光地や商業地はお客さんが来ないことにはどうしようもないわけですから、もし時間のある方は訪ねていってほしいですね。

いつもと変わらない感じで・・・。

これも再生への手助けのひとつですから。

2011年4月24日日曜日

反応

昨日書いたサッカーJリーグは、昨日が開幕ではなく、約1カ月半ぶりの再開でしたね。すっかり開幕していたことを忘れていました。僕だけなのかもしれませんが、わずか1カ月半前の出来事でも忘れてしまっていることは多いものです。年齢と共にその傾向が強くなるのかは分かりませんが、少しは増えているような気がします。


遥か遠い昔の記憶を思い起こすこともあるのですが、やはりその印象の強さとか自分自身の感受性の違いなんかが影響しているのだと思います。それと、物理的な時の流れに変化はないはずなのに、感じる長さが違ってきたり、意識をするでもなく入ってくる情報の多さも関係しているのだと思います。

それに伴って、さまざまな物事への反応の速さも変わってきています。リアクション芸人ではないけれど、反応ってものすごく大事なことだと思っています。人により、仕方やタイミングや時間に違いは見られますが、生きている以上、僕たちはあらゆる場面で反応を要求されています。

仕事であれプライベートであれ、そのスピードは徐々に早まることを求められているように感じます。特に仕事では初めの動きが大変重要とされ、その時の内容が後々まで尾を引くなんてことも良くあることです。急を要することではないと自分では感じていても、周りがそれを許さない場合もありますし、対応次第では変な誤解を招いてしまうことも間々あります。

僕の場合、常々間違っちゃいけないと思っているのは、反応と判断は違うということです。その時々で本能的に、意図的に、はたまた不意に反応はします。人間誰しもそうなのだと思います。でもその場で咄嗟に判断するかというと、そうではありません。

多くの人はこれまでの経験知や情報を集め、あるいは他の人の意見を聞きながら、実際の判断をしているはずです。咄嗟に決めてしまう場合もありますが、その場合でも何かその伏線となるものが気持ちや行動の中に前もってあると僕は思っています。

判断は非常に難しいもので、その決め手ともなり得る反応は絶えずしていかないといけないと誰もが思っていますし、当たり前に自然にするものでもあります。

怖いのは知らず知らずの内に、その反応すら薄れていくことです。記憶は曖昧に、やがて忘れられていくものですが、反応は違います。

そして、きっかけとなる反応から判断へと変わり、行動へと繋がっていくわけです。